はじめに
■みなさんは丘美丈二郎という名前をご存知でしょうか。東宝特撮映画に馴染みのある方はご存知のはずですが、専任の小説家でも学者でもないので、名前は知っていても、その実像はご存知ないのではないでしょうか。いや、私も以下の細川涼一論文で初めて人物像について腑に落ちました。
■いわゆる学術論文のなかにも特撮映画に関するものがあります。いまはインターネットで論文検索ができるので、キーワードを指定して簡単に探すことができます。以下の論文も大分以前に発見していたのですが、記事にするのが遅れてしまいました。
細川涼一による紀要論文
■今回紹介するのは、細川涼一の『丘美丈二郎ー 『地球防衛軍』『妖星ゴラス』の探偵・SF作家』という論文です。
■といっても、査読論文といった本格的なものではなく、京都橘大学研究紀要に載ったものです。所謂、紀要論文です。細川氏は歴史学者で、元京都橘大学の学長。もともとは日本中世史の専門家です。東宝特撮関係の文章を同紀要に公開されており、丘美の出した私的な葉書や『モスラ』の検討稿等を個人的にお持ちのところから、相当な特撮趣味人とお見受けします。学長職の多忙の合間に趣味的に書かれたエッセイという風情ですが、なかなかに興味深いです。京都橘大学の教員プロフィールによれば、研究テーマは以下のとおりです。なるほど、特撮は「日本近代の大衆文化」なんだね。
■ 研究課題(テーマ)
1. 日本中世の女性と仏教・芸能
2. 日本中世の社会と寺社
3. 日本中世の賤民・被差別民衆
4. 日本近代の大衆文化(探偵小説・特撮映画を中心に)
丘美丈二郎とはどんな人だったのか
■丘美丈二郎こと、兼弘正厚はノーベル化学賞を受賞した福井謙一の大阪今宮高校時代の同級生(!)で、ノーベル賞受賞時にお祝いの文章を書いているそうです!東京帝国大学工学部卒業後、本職は航空自衛隊の創設時からのテストパイロットで、各基地を転々とし、退職後は様々な航空技術系の仕事を経て、晩年には雑誌『丸』等に本名で航空関係の記事を執筆していたそうです。なので、本名での活動はわりと最近までされていたのですね。完全に所在不明かと思っていた。
生涯に著書を残さなかった丘美の名が、探偵小説家愛好家以外にも知られているとするなら、それは東宝特撮SF映画『地球防衛軍』『宇宙大戦争』『妖星ゴラス』『宇宙大怪獣ドゴラ』(監督はいずれも本多猪四郎)の原作者としてであろう。
と書かれている通り、東宝特撮愛好者には忘れられない名前です。
■丘美丈二郎は、「佐門谷」という怪奇小説の逸品も残しており、いまはこちらのほうが有名かもしれない。丘美丈二郎が東宝SF特撮映画にもたらしたもの
■驚いたのは、丘美が『地球防衛軍』『妖星ゴラス』に提供したアイディアはほとんど代表作で1953年に出たSF小説「鉛の小函」( 第7回探偵作家クラブ賞 新人奨励賞)に含まれることですね。特に『地球防衛軍』はほとんど「鉛の小函」の焼き直しと呼んでも過言ではないような。(小説自体は未読なので断言はできないけど)まあ、田中友幸がこの小説を読んで原作の執筆を依頼したという経緯なのでさもありなんというとことですが。
■一方、『地球防衛軍』は原案:丘美丈二郎、潤色:香山滋となっていて、細川論文によると、田中友幸が丘美丈二郎のゴリゴリのSS(サイエンスストーリー)としての原案にさらに娯楽要素を求め、”ロマン”を加味するために香山滋に潤色を依頼したという経緯らしい。これによって、お馴染みの科学者の娘やモゲラの設定が導入されたらしい。
そして田中友幸のテーマ主義
■以上のように東宝SF特撮映画の思想的な核(核問題への警鐘、原子力への懐疑、科学信仰への疑問等々)は、香川滋と丘美丈二郎によってもたらされたといえそうです。しかし、それは原作者をチョイスすることで、田中友幸の意向を体現したとも考えられ、結局は田中友幸の意外なほどのテーマ主義へのこだわりの強さが析出されるのではないでしょうか。
■もともと大阪の関西大学で新劇運動にかかわって青春時代に演出や出演もしていた出自がそうさせるのではないかと想像しますが、あるいは当時「オバケ映画」として差別されがちな企画を東宝本社内の企画会議で通すための方便として高尚なテーマ性という”建前”が欲しかったのかもしれません。
■『世界大戦争』とか『日本沈没』とか『ゴジラ』(1984)といったバジェットの大きな超大作の製作にあたっては、学者やジャーナリストなど専門家のアドバイスを求めたのも、同様に社内の会議対策という気がします。でもそれは、後付の正当化のための理論武装としてのアドバイスであり、映画企画の原点となるSF的発想、疑似科学的発想そのものは、香山滋とか丘美丈二郎の想像力に求めていたようです。
■『妖星ゴラス』はもともと1960年頃に『地球大改造』というタイトルで企画が始まっているけれど、これも前述の「鉛の小函」がそのイメージソースであったりして、特に有名な小説家ではないにも関わらず、丘美丈二郎の発想に大きな信頼を置いていたようです。このあたりの東宝特撮映画の文芸企画の詳細はいまだにあまり明確になっていないので、非常に興味深いところですが、詳細は専門家によるさらなる研究を俟ちたいところです。