私たちは、辛抱強く、ひとつひとつ壁を乗り越えてゆく『私は泣かない』

基本情報

私は泣かない ★★★
1966 スコープサイズ(モノクロ) 91分 @アマプラ
企画:柳川武夫 脚本:吉田憲二石森史郎 撮影:姫田真佐久 照明:岩木保夫 美術:川原資三 音楽:小杉太一郎 監督:吉田憲二

感想

■女子少年院から出所した非行少女は保護観察処分となり弁護士の家のお手伝いさんとして住み込むことになるが、その家の長男は小児麻痺で半身不随だった。はじめは互いに激しく衝突する二人だったが。。。

■というお話で、吉田憲二の監督デビュー作。和泉雅子の非行少女路線の一作で、社会派勤労映画の系譜でもある生真面目な映画。第1回青少年映画賞文部大臣グランプリ受賞作品ということです。でも、こうした看板て、捻くれた映画評論家の評価を却って阻害するところがあるから、公開当時は話題作ではあっても、その後忘れられがちで、本作ものその例に漏れず、ソフト化もされず、完全に埋もれた映画になっている。そもそも製作当時から所内で「また難病ものか」と陰口をきかれたりしていたそうなので、当時ですらお涙頂戴路線というレッテルで軽視されていたふしがある。

■正直、和泉雅子の非行少女役は無理があり、『若草物語』とか『夕陽が泣いている』のほうがよっぽど自然でハツラツとしているからね。浦山桐郎の『非行少女』は、あれは唯一無二の突然変異的な映画だったのだ。

■アマプラの配信原版は上映用の古いプリントから変換したようで、パンチマークも出ているし、モノクロのディテールも潰れ気味で、照明効果も再現性が怪しくて、姫田チームの力量があまり確認できない。忘れられた映画監督である吉田憲二の映画はリマスターもされない不遇な扱いで、アマプラで観られるだけでありがたい気がするけど、『朝霧』だって『孤島の太陽』だって、かなり画質は厳しい。というか、昔のVHSビデオの画質だ。本作も同様だけど、実にもったいないことだ。

■なにしろ通常通りの二本立て興行で、コンパクトによく出来た映画だが、中盤に脳性麻痺の子どもを殺害した親の裁判まで盛り込んだのは、ちょっとやり過ぎ感がある。ほんらいそれだけで映画一本分のお話だからだ。あまりにも、サクサクと簡単に展開して、北村和夫は感動的な弁論をするし、世間の同情を集めた下條正巳は呆気なく(台詞もなく)自死して、その事件は減刑運動に積極的に関与した和泉雅子の心に大きなダメージを与えるのだが、さすがにご都合主義な展開に見えてしまう。

■でも、自暴自棄になった和泉雅子養護学校の教師の芦川いづみが淡々と諭す場面は移動カットと切り返しの撮影も編集も完璧で、サラッと描くが感動的なので、吉田憲二はとても腕がいいのだ。「辛抱強く・・・一つ一つ壁をのりこえてゆく。私たちに出来ることは、その努力を続けてゆくことじゃないかしら」ほんとにあたりまえでありきたりなことだけど、さらっと言ってのける芦川いづみの台詞の重さに深く共感し感動する。ここが一番泣けました。。。

和泉雅子の幼なじみの青年が山内賢だけど、この役柄はさすがに漫画的な好青年で、もう少しリアルなタッチがほしいところ。山内賢は監督に言われて少し強めにそう演じたのだろうが、やり過ぎ感がある。でもこの無理矢理な溌剌感が昭和40年代のリアルなのかもしれない。北村和夫はほとんど『猟人日記』と同じ雰囲気で弁護士役を好演して、重症障害児を収容できる施設が絶対的に不足していることを訴える弁論場面は当たり前の演出だけど、見ごたえがある。

■当然のように車いすの少年が自らの足で立ち上がる場面がクライマックスとなるが、この描写は映画史的に誰が一番最初に描いたんだろうね。テレビドラマでも何千回も観た気がするけど。

参考

吉田憲二って、本人の見た目が頑固で生真面目で地味というところから、映画に関しても誤解がある気がする。見た目だけでなく、実際に真面目で面白みのない人だったらしい。でも映画は真面目な素材を扱いながら、ケレンもあるしサービス精神旺盛で、良いんだよね。
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『非行少女』の和泉雅子の演技は演技を超えた浦山桐郎とのインプロビゼーションで、本人もその趣旨の発言をしている。実際、そうだろうと思う。
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和泉雅子の生の魅力は、むしろこのあたりのアドリブ的な演技で映える気がする。
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