婚前交渉ダメ!絶対!でも性的妄想が私の脳裏で渦を巻く『悲しき別れの歌』

基本情報

悲しき別れの歌 ★★☆
1965 スコープサイズ 95分 @アマプラ
企画:坂上静翁 原作:石坂洋次郎 脚本:三木克巳、智頭好夫 撮影:萩原憲治 照明:熊谷秀夫 美術:佐谷晃能 音楽:池田正義 監督:西河克己

感想

■東京の山形県人会で信太郎(浜田)と出会ったゆり子(吉永)だが、彼女にはお笹馴染みの健次郎(松山英太郎)という弟分がいた。二人の間でゆり子の心は揺れ動くが、健次郎はゆり子の同級生秀子(浜川智子)がなかば奪い去ったため、信太郎と急接近することに。だが二人の関係を知った田舎の母(高峰三枝子)は激しく動揺する。。。

■日活の吉永小百合浜田光夫の青春映画路線には、薄暗く栗の花の匂いが芳しく臭うセックス映画の路線がある。とは言ってももちろん真正面からセックスを描くことはできない抑圧から、日活映画には婚前交渉恐怖症映画とでも呼ぶべき作品の系譜が形成され、婚前交渉は絶対悪で、その誓いを破るものは必ず不幸に堕ちるという強烈に倫理的な映画を生み出した。

■例えば吉永&浜田コンビの第一作『ガラスの中の少女』からして、物語のテーマは父母の視点から、若い二人に性交渉はあったのか、なかったのかというところに集約される変な映画だった。娘の命よりも、純潔であったのかなかったのかが両親の間で大問題とされる異常心理(?)映画でもあった。
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■さらにずっと後には『ある少女の告白 純潔』という映画もありました、これは吉永&浜田ではなく、丘&沖という新コンビを売り出す映画でもあったけど、とにかく婚前の純潔は日活映画の一大モチーフであり続けた。
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■一方で日活映画には女性の性欲の発露を積極的に描く路線もあり、そちらは月丘夢路が演じているようだ。田中絹代の『乳房よ永遠なれ』がその路線の代表的な傑作で(さらに泉鏡花原作の『白夜の妖女』なんていう映画もあり、こちらは昔劇場で観て非常に退屈した記憶があるが)、ステロタイプな悪女、妖婦ではない普通の女の等身大の愛欲を肯定的に描く試みがあったので、一方で純潔に対するこだわりの強さに異常さを感じることになるのだ。
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■本作も吉永の母親と浜田の父親(宇野重吉)が、若い二人が婚前交渉を持つことを忌避する。その訳は、お察しの通りの事情なのだが、宇野重吉高峰三枝子の昔交わした婚前交渉の呪いが、若い二人に降り掛かって、二人は最終的に別れることになるという因果なメロドラマになっている。

■その因果な部分がこの映画の薄暗い変な味になっていて、西河克己という人は時々、純愛映画に因果ものを押し込んでくる。宇野重吉の妻を演じる荒木道子が一見物分りの良さそうな夫とその家の因習について鬱積した気持ちをつい独白してしまう場面など、実に暗くて良い。舟木一夫の純愛映画『夕笛』なんかもそんな感じで、それならもっと正面からゴシックに演出すればいいのにとも思う。
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■正直筋立ては古臭くて、当時としても相当古色蒼然だったろうと推察するけど、吉永に心を残しながら、現代的で発展的な浜川智子に翻弄され疲弊して堕落してゆくことを自覚する松山英太郎の役柄はドラマに陰影を生んでいる。それに松山英太郎は吉永を押し倒してキスしてしまうのだ。浜田ともキスするけど、そちらは例によってキャメラワークで物陰で演じられるのにだ!

■あまり褒める気はしないが、因果メロドラマの薄暗さのなかに、変な憂愁が表現されてしまった異色作とはいえるだろう。主題歌の「忘れな草をあなたに」が非常に寂しげなアレンジで、これが大貢献している。

参考

本作は浜川智子が太田雅子と新人表記されているのだが、浜川といえば、これ『愛と死の記録』でしょうね。もともとのシナリではもっと出番が多かったので、ひょっとすると編集でカットされたのかも。
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