サイケでヒッピーな時代に、敢えて「純潔」の意味を問う!?『ある少女の告白 純潔』

基本情報

ある少女の告白 純潔 ★★
1968 スコープサイズ(モノクロ) 80分 @アマプラ
企画: 園田郁毅 脚本:浅野辰雄 撮影:山崎善弘 照明:高島正博 美術:西亥一郎 音楽:中林淳真 監督:森永健次郎

感想

■1967年正月の日活政変により、日活映画のカナメであった江守常務が追放されて、日活の企画部は士気が低下したことは熊井啓も自著で書いてますが、その後企画の混乱を招きます。

■それでも渡哲也や高橋英樹らの活劇派は東映ヤクザ映画の便乗路線(日活首脳部自身が認めてますからね)をこれ幸いとばかり意気軒昂なところをみせますが、苦し紛れの企画も捻出されます。本作などもその一端で、丘みつ子沖雅也を新人デビューさせて、なんとなく吉永小百合浜田光夫の路線を継承させようとする魂胆も見え隠れする。若い高校生カップルの純潔の問題(なにそれ?)を描いて、なんとなく『ガラスの中の少女』を踏襲しているように見えるからだ。

■そもそも丘みつ子が日活出身だったことも先日知ったところだし、同じく沖雅也が日活で地味に活躍していたことも初耳だった。特に丘みつ子については、いきなり性春路線でデビューというのはなんとも収まりが悪い。ホームドラマの母親役といったイメージしかなく、実際、ちっともセックスアピールがないのだから。

沖雅也にしても、一本調子の芝居でさすがにセリフも棒読みだし、森永健次郎は演技指導には興味がないようで、長廻しでキャメラを動かすことやユニークなオプチカル処理にしか興味がないようだ。しかも明確な意図をもった長廻しではなく、カットを割ると照明の移動などで時間がかかるので、基本回し放しで、あとはキャメラマンよろしくスタイルかも。でも、本作の手持ち主体のキャメラワークは、ロマンポルノ路線の基本的なフォーマットになるので、映像スタイル的にはホントにロマンポルノのタッチなんですよ。裸こそ無いけど。また、そのルーズな長廻しの空気感は今見ると独特の味がある。

■日活青春映画の伝統では、勤労青年や勤労学生が主演となるところ、本作はふたりとも結構リッチで、特に沖雅也は大企業の社長の息子。だが、父親が贈賄で起訴されて最後は勤労学生となり、自分の意志で大学とサッカーを続けることを決める。そうして出会い直した二人を、突然ヘリコプターに乗ったキャメラが豪快に舞い上がり、ふたりの姿は海辺の絶壁の木立にかき消される。意味はよくわからないが、なにやら豪華に祝福された気がする。

沖雅也の仲間たちが入り浸っているスナックがいかにも日活風に凝った作りで、落とした照明もいいムードで、音楽をフラメンコで統一したのも不似合いにセンスがいい。音楽担当の中林淳真は有名なギタリストらしいし、スナックで踊るフラメンコダンサーも当然本職。せっかく音楽が凝っているのに、ドラマが付いていかない。もっとリリカルなお話だったら、ギター曲とちゃんとマッチしただろうに。

■そして沖雅也の高校生仲間たちの中に、なぜか桂木美加の姿が見えるのだが、本作が実質的なデビュー作らしい。この人も、なかなかキャリアが謎の人で、いま見ると個性的な美人だったのに、作品に恵まれなかったかも。『帰ってきたウルトラマン』でもあまり生かされなかったからなあ。

■しかし、脚本的にもう少しテーマをしっかり打ち出さないと、持たないよなあ。問題は脚本にありだと思う。森永健次郎がいつものタッチで流して撮っても、脚本がしっかりしていれば、結構な佳作が生まれますからね。
www.nikkatsu.com

参考

maricozy.hatenablog.jp
森永健次郎は脚本がしっかりしていれば、結構な秀作を撮る人なんです。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp

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