女ひとり大地を行く ★★★☆

女ひとり大地を行く
1953 スタンダードサイズ 132分
DVD
脚本■新藤兼人、千明茂雄
撮影■中沢半次郎 美術■江口準次
照明■若月荒夫 音楽■飯田信夫
特殊技術■横山眞一 合成■岡田明方
監督■亀井文夫

■炭鉱労組が資金を出して製作された独立映画で、出稼ぎに出た宇野重吉が死んだと聞かされた山田五十鈴が炭鉱で働きながら二人の息子を育て上げるが、息子たちは片方は警察予備隊に入り、弟は労働運動に身を投じるという、一種の年代記もの映画。もともと164分あったものを大幅にカットしたもので、特に宇野重吉が炭鉱のガス爆発に巻き込まれるまでのギクシャクしたつぎはぎ感は、このカットのせいだろう。炭鉱ものは『にあんちゃん』などが有名だが、確かにあちらのほうが秀逸。

■ただ、劇映画としてはあまり上出来ではなく、新藤兼人がどこまでコントロールできていたのか疑問も感じる。山田五十鈴は後半では病で臥せっている設定だし、宇野重吉の出し入れに至っては、コメディに見える。特に、風呂場のシーンで何気なくキャメラがパンしたら死んだはずの宇野重吉が湯につかって寛いでいるという再登場シーンは完全にギャグの域。ナレーションでこれまでの流転の日々が語られるのだが、これ本当に新藤兼人が書いたのか?

■終盤は7万トン生産計画ために酷使される過酷な労働環境に対して労働組合を突き上げて全面ストに突入するのだが、このあたりで急に登場して弁舌鮮やかにアジるのが若き日の丹波哲郎。名前のクレジットがなかったと思うが、明らかに若すぎる丹波哲郎。しかし、十分目立っているから、凄い。

■そして、この映画で一番鮮烈なのは、炭鉱を実質的に支配しているのではと感じ入ってしまう北林谷栄の名演技。というか、もう人間国宝でしょう。完璧な脇役演技というものはこうした演技のこと。ずうずうしくしぶとく、情け深くて、地に根を張った生活者のリアリティをリアルを超えた独壇場の演技で表現する北林谷栄の姿は、一本の映画の存在を超えた人間像の普遍性を感じる。北林谷栄は、あの役柄のまま、各種の映画を渡り歩いている感じがする。

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