感想
「いろいろいわれましたが、僕はこの『銀心中』が好きなんです。」新藤兼人『作劇術』より
■終戦末期、夫(宇野重吉)がフィリピンの山岳地帯で戦死したと知らされた妻(乙羽信子)は、先に戦地から戻っていた夫の甥っ子(長門裕之)と関係してしまうが、戦後、夫が生還する。生木を引き裂くように別れさせられた妻は甥っ子への思いを断ち切ったように見えたが、その6年後に出奔する。。。
■タイトルは「しろがねしんじゅう」と読む。クライマックスが東北のしろがね温泉で展開することになるからだね。雪深い温泉町の情景をロケ撮影と豪華なステージ撮影で丁寧に描きますよ。製作は近代映画協会のプロデューサーだけど、近代映画協会の自主製作ではなく、日活から制作費は出ていたようだ。おかげで、美術セットはかなり豪勢だし、終戦後の焼け跡の情景には見事な作画合成も使われている。まあ、この頃の独立プロ映画は案外特撮が使われているからね。近代映画協会の映画は劇団民藝が協力することが多かったから、自然と日活からお呼びがかかったわけだろう。
■テーマは、戦争が男女の運命を狂わせたということと、戦後の民主化による開放で女性が激しい自己主張をし始めたということの二つになっている。前半は終戦間際のざわざわした事件の連鎖で、かなりテンポが早く、二人の男は相次いで出征する。後半はまるで情欲に狂ったかのような乙羽信子が、叔父に対する申し訳無さから身を引いた長門裕之をとことん追い続けて、いったん別れさせられるのに、山間の温泉地で自堕落な生活をしていると聞くと、夜汽車に飛び乗って男のもとに駆けつける。このあたりの男を追い詰める女の一方的な情念は、なかなか凄まじく、新藤兼人の筆が冴える。演じるのが乙羽信子なので、性的なパッションがあまり出ないので、いまいち映画的にはそこが物足りない。でも、実は以下のような技巧的な仕掛けが施してあって、技巧的に納得させるのだ。
■温泉地にやってくると長門は野卑で下品な芸者・梅子と出来ていることを知るけど、よく見るとその獣のような女の面影は自分に似ていることを知るあたりの残酷さもさすがの描き込み。しかも、この梅子を乙羽信子が一人二役で演じていて、不銘ながら、映画を見ている間は気が付かなかったよ!(今気づいた!)当然のように合成カットもあるのだが、構図もマスクラインも編集もあまりに自然なので全く気が付かない。キャメラマンの伊藤武夫って、当時絶頂の名キャメラマンだけど、知られざる特撮の名手ではないか。凄いな。
■乙羽信子の演技はかなりテンション高めで、これを受ける宇野重吉がスタニスラフスキー・システム演技だから、リアリズムからすれば若干浮いている気がするが、そこは演出意図だろう。戦中から戦後に移行する時代の急転換の中で、何かが激しく弾けてしまった女の悲劇を描くのだから、ヒロインの現実から浮き上がった姿が必要だったのだろう。ロケ撮影は後年の姫田真佐久などに比べるとまだまだ甘い部分もあるが、新藤兼人、侮るべからずだ。