『跋扈妖怪伝 牙吉』

基本情報

跋扈妖怪伝 牙吉
2004/VV
(2004/7/11 レンタルDVD)
脚本/神尾 麦
撮影/江原祥二 照明/土野宏志
美術/原田哲男 音楽/川井憲次
特撮アドバイザー/尾上克郎 スペシャルエフェクト/羽鳥博幸
監督/原口智生

感想(旧HPより転載)

 物の怪たちが幕府に駆逐されつつある時代、待ち伏せするやくざを叩き斬った無宿者牙吉は帰る故郷を喪った人狼だった。一宿一飯の恩義を受けた宿場町の賭場は、安住の地を求める妖怪たちの梁山泊であり、藩のお尋ね者を賭場に誘い込んで処分することを条件に藩の改革派から約束の地の提供をとりつけたつもりだったが、藩の実権を握った彼らは裏切り、強力な火力による妖怪殲滅に乗り出す。次々に倒れてゆく妖怪たちの呪詛の声を聞いた牙吉は、自らの力を解き放ち、狼男となって彼らの前に立ちはだかる。

木枯らし紋次郎」の流れ者を妖怪に置き換えるという奇想から生まれた(?)原口智生の妖怪愛と映画愛の溢れる傑作。脇役たちはほとんどエクラン演技集団の大部屋俳優で、作り物は自らの中州プロで制作するという徹底した低予算映画だが、この破天荒ぶりは十分に「少林サッカー」の破壊力に対抗できる。

 まさに木枯らし紋次郎そのものという気合の入った冒頭の殺陣シーンからして、時代劇映画の香りが横溢しており、大映の妖怪映画のみならず、「木枯らし紋次郎」「子連れ狼」「必殺」シリーズ、そして「サンダ対ガイラ」といった原口智生の偏愛する映画たちのエッセンスを贅沢に取り込みながら、自主映画の自閉に陥っていないのは、監督の松竹京都映画の実力派スタッフの技量への信頼の深さによるものだろう。相変わらず変幻自在でフットワークの軽さと正統派の重厚さを兼ね備えた江原祥二のキャメラが絶妙で、様々な意味で撮影所の底力を見せつける映画である。

 そもそも監督デビュー作「ミカドロイド」の時から映画監督としては異才を放っていた原口智生は、「さくや妖怪伝」でも今作とほぼ同じスタッフで時代活劇の香りを掘り起こしていたが、今作での演出はさらに王道に踏み込み、もはや時代劇専門監督の牙城を脅かすほどに成熟している。 

 まるで東映映画のようなモチーフだが、神尾麦の脚本は論理的整合性というよりも、テーマの整合性において穴だらけで、本来なら神波史男あたりが適任なのだが、それは贅沢というのもだろう。

 原田龍二が狼男に変身して裏切り者の一つ目入道と激突する場面は、「ハウリング」そのままの変身シーンの後、急に効果音までが東宝特撮の、つまりキヌタラボラトリーの爆発音に切り替わるというマニアックな懲り方で、松竹京都映画のオープンセットを破壊し尽くさんばかりのスケールで「サンダ対ガイラ」もかくやという死闘を展開する。この演出の弾け方は尋常ではなく、「北京原人の逆襲」をも凌駕して、まさに目も眩むような生身の激闘を見せ付ける。CG全盛のこの時代に、ここまで徹底したアナログ演出に魂を揺り動かされない者は映画を観る資格が無いだろう。

 しかし、原口智生が謎なのは、妖怪映画だけでなく、無類の怪談映画好きであるにも関わらず、これまでの作品では妖怪趣味は横溢しているものの、恐怖演出にも怪奇趣味にも至って淡白であることだ。これまではなぜかもっぱらアクション映画に専念してきたの原口智生だが、いつか本格的な怪談映画を撮ってくれるに違いない。というか、早く撮ってくれ、原田龍二主演の四谷怪談

追伸:
北村龍平は、この映画を百回見直して、自己批判するように。

コメント

(2023/5/17記)
■なぜか北村龍平にとばっちりが及んでいるところがわれながら変ですね。八つ当たり?

■撮影の江原祥二はいまやすっかり大作映画御用達のベテランキャメラマンで、名キャメラマンです。この頃は基本的に松竹京都撮影所で安い時代劇映画やVシネマを請け負ってましたけど、低予算といっても関わっているスタッフは大作映画と同じ地元の職人たちなんですね。

■同じスタッフでも低予算だと明らかに映像のルックが貧相なんだけど、製作費の潤沢な大作だとちゃんとリッチな映像になるんですよ。世の中そんなもんですよね。(?)

参考

maricozy.hatenablog.jp
これはさすがに意味不明な映画で、低予算で東京で撮るとコメディに逃げるしかないということでしょうか?平成ガメラですら、予算ないならコメディにという話もあったよね。
maricozy.hatenablog.jp
『サンダ対ガイラ』を彷彿させる映画って、いくつかありますよね。さすがに中島貞夫は意図してないと思いますが。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
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