大きい人好き?怖い?巨人妄想フェチ映画『シン・ウルトラマン』

基本情報

シン・ウルトラマン ★★★
2022 スコープサイズ 113分 @イオンシネマ京都桂川
脚本:庵野秀明 撮影:市川修、鈴木啓造 照明:吉角荘介 美術:林田裕至、佐久嶋依里 音楽:宮内國郎鷺巣詩郎 VFXスーパーバイザー:佐藤敦紀 准監督:尾上克郎 総監修:庵野秀明 監督:樋口真嗣

感想

最終更新 2022/5/24
円谷プロ東宝と約30年ぶりの和解を果たし(?)『シン・ゴジラ』みたいなウルトラマンを作りたいと同じチームを再招集して、ただし予算規模は縮小して製作したウルトラマン映画。配役には惜しみなく金を使っているが、製作規模は『シン・ゴジラ』よりこじんまりしていて、大規模な美術セットは出て来ない。会議室だって、そこら辺の会社の応接室みたいだ。

■正直なところ、CGによる怪獣表現は『シン・ゴジラ』からあまり進歩していない。よくできているけど一息足りない微妙なCG映像をずっと観ていると胸が悪くなってくる特異体質(?)なのだが、本作のネロンガガボラもそれに近い。日本映画もここまできたかと感じるVFX部分も少なくないが、でもヌイグルミで撮って、合成ではめ込んだほうがアクションのヌケが良く、絶対気持ちいいいよね!と強く感じる。そうした手法は弟分の田口清隆が極めているが、本作は大人が観る映画なので、怪獣は全部CGでという判断だろう。子供向けのウルトラマン映画なら今でもミニチュアとヌイグルミを使ってるからね。

■ドラマ的には、とにかく庵野秀明という人は怪獣に愛のない人で、怪獣が活躍しないし、怪獣にはドラマがない。代わってドラマを担うのは外星人と呼ばれる宇宙人たちで、なんだかウルトラセブンを観ているみたい。敢えてザラブ星人メフィラス星人をドラマの中心に置いてしまう庵野秀明のマニアックさには脱帽と言うか、呆気にとられる。ラストに登場するゼットンにしたって、怪獣ではなく巨大兵器だし、見せ方も新味がない。何百回も観たようなCG映像だし、妙に黒に締まりのない白っぽい画像で、眠くなる。

■ドラマ的には、というかドラマがないので、完全にヲタク考証祭り状態。台詞の半分以上はオタクな考証の説明。しかも、カトクタイのメンバーのどアップが頻出するので、映画館で観ると息が詰まりそうになる。テレビ映画ならわかるけど。長澤まさみ早見あかりのアオリのドアップとか、二重顎を強調して嫌がらせかと。身体はスリムなのに、顔は丸顔という長澤の欠点(?)をこれでもかと大スクリーンに拡張する。ことに有岡大貴のどアップは苦しい。いや見苦しい。

■しかし、この画角いっぱいのパンパンのどアップの連打にはひっそりと意味があり、本作を貫くオブセッションを形作っている。それは、庵野秀明が作品歴の中で隠そうとしない巨人愛/恐怖の感情だ。怪獣に対してはそうしたオブセッションを全く感じさせないのに、人間に対してはその大きさに過敏に反応する。その象徴がただぼーっと立ってる大きい人、ウルトラマンだ。そして、ウルトラマンに対する愛着と秘められた恐怖の念だ。

■そのことは中盤に登場する長澤まさみの進撃シーンにももちろん明白だし、そもそも連発されるドアップショットも、大きい人怖いの感情の発露だ。そもそもエヴァンゲリオンも大きな人だったし、樋口真嗣の『進撃の巨人』も巨人恐怖映画だった。

俗流精神分析的に単純に考えれば、大きな人は子供時代に仰ぎ見たやさしい母/怖い母だろうから、ある意味で普遍的なオブセッションともいえるが、巨大怪獣への憧れというベクトルではなく、大人は怖いという文脈を世間に流布し続ける庵野秀明の個人的事情はどんなものだったろうか。その一角には盟友の樋口真嗣も加担しているし、松本人志も同様のオブセッションを『大日本人』で披瀝している。遡れば『サンダ対ガイラ』がトラウマの源泉であることは確かだが、それだけのことではないはず。

■本来、怪獣映画は大きい生き物への原初的な憧れ/恐怖から生まれてきたはずだが、巨人妄想映画は、より個人的な幼年期の経験に端を発している気がするが、なぜここまで普遍性を獲得したのかは、興味深い研究テーマだ。怪獣映画には大きく強くなりたいなあという子供の本能的な願望が秘められているが、巨人映画には、小さいままの自分の視点での庇護を受ける大人への愛着と、その裏面としての大人への恐怖、成長への恐怖しか感じられないからだ。

■そして、いちばん困るのは、ウルトラマンが人間を好きになるというプロセスが描かれていないところで、だからこの映画はなんだかTVシリーズのダイジェスト版に見えてしまう。中盤にあるべき肝心のウルトラマンの心理を描くドラマの部分がごっそり抜け落ちているのだ。技術的に言えば、序盤と終盤に対比的なエピソードを置いておけば、極端に言って中盤は具体的に何もなくても、心理の変化が生じたように感じてしまうのが人間の認知能力の特性なので、そう脚本を書けばいいだけの話なのだが、敢えてかどうか、そうした常套的な手法は採らない。もったいないと思うのだ。ハリウッド映画だけでなく、職業脚本家なら、そこは外さないはずだから。そうした王道の作劇よりも、ヲタク的な考証と設定の披瀝のほうに興味があるし、今の時代はそういうのが受けるのだという経験的戦略は、たしかに興行成績的には当たっているのだが。いいのかなあ、それで。。。

■制作陣はほぼ同世代(ちょっと上?サバ読んでる?)なのにますます技術的には貪欲で、新次元を切り拓いているのは確かで、技術的には見るべきところも少なくないけど、こうした作劇が受ける時代になったんだなあ、もうわれわれの出る幕ないなあ、と違和感と疎外感を強く感じる映画でした。こんな本を出すほど特撮ジャンルには思い入れがあるはずなのに、なんだかもうついていけないナア、というかこれからの特撮映画の行く先にはあまり興味が沸かないなあ、愈々卒業かなあとしみじみ感じさせる映画でした。。。

www.gqjapan.jp

参考

忘れられた興行的な失敗作ですが、映画版ウルトラマンとしては、上出来の部類です。活劇としてのカタルシスと特撮の見せ場が的確。
maricozy.hatenablog.jp
これは比較的有名な快作。特撮もドラマも工夫がいっぱいの泣かせる映画で感心した。熱い男、岡秀樹。
maricozy.hatenablog.jp
個人的には吐き気がする気持ち悪い映画。個人的な実感です!
maricozy.hatenablog.jp
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狙い目は悪くなくて、CGの質感の気持ち悪さをうまく生かしたけど、最終的に誠実さが感じられず印象が悪い。
maricozy.hatenablog.jp
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