『ベン・ハー』

ベン・ハー
(BEN・HUR)
1959/スコープサイズ
(2001/11/23 京都松竹座)

感想(旧HPより転載)

 ユダヤの名士ジュダ・ベン・ハーは些細な事故のために、ユダヤを統治するローマ帝国ユダヤ進駐軍の指揮官で、幼なじみのメッサラ(スティーブン・ボイド)に捉えられる。ローマ帝国に対する協力を拒む彼を憎んだ指揮官はガレー船の漕ぎ手にすることを命じ、母と妹を投獄してしまう。激烈な海戦のなかで沈没するガレー船から脱出したベン・ハーは助けた司令官の養子となるが母と妹を助け出すためユダヤに戻る。そして、母と妹が獄死したと思いこんだ彼はメッサラに復讐するために巨大なコロシアムで行われる戦車競技に出場し、卑怯な手段で勝利を狙った仇敵を破る。だが、メッサラはその死に際に母と妹が”業病の谷”で生きていることを明かし、勝負の決着はまだついていないと言い残すのだった。

 京都松竹座のさよなら興行の一環として上映されたハリウッドの古典的大作。そもそも「この3人」とか「偽りの花園」といった傑作で不動の地位を築き上げたウィリアム・ワイラーが今更こうした大味な史劇を手がけること自体が、映画界の衰退を如実に示しているのだが、映画の出来自体もワイラーの他の諸作品に比べれば平凡な仕上がりだ。もっとも、こうした超大作史劇のなかでは上出来の部類に入るのは確実だが。

 過酷な試練を生き残っていくうちにローマ帝国に対する復讐と憎悪の陰火を燃えたぎらせてゆく主人公の復讐の連鎖を断ち切って物語に平安な結末をもたらすのがゴルゴダの丘で処刑されるキリストのエピソードで、巻頭の誕生シーンから要所要所にキリストの姿が点描される構成となっている。実際の所、ローマ帝国許すまじ、打倒ローマ帝国という反逆の気概を煽って物語を締めくくってくれたほうが、映画としてはよほど面白いはずだし、キリストの奇蹟により母と妹の業病が治癒するシーンなど仮にもワイラーたる者が本気で撮ったとは到底思えない有り様だ。復讐の連鎖を断ち切るというテーマは実に今こそタイムリーな映画といえるのだが、その解決としてキリストの奇蹟に頼っているようでは、説得力などあったものではない。

 主人公を演じるチャールトン・へストンも表現力に乏しく、ただ露出狂気味の屈強な肉体美と生気あふれる眼光だけでこの超大作をなんとか乗り切っている。敵役となるスティーブン・ボイドが死に際まで卑怯卑劣な役作りで悪役としてはまことに天晴れ。ただ、このレベルの演技なら「グラディエーター」のホアキン・フェニックスの繊細さの方が優位に立つだろう。

 しかし、この映画の眼目はスペクタクルな戦車競技の場面で、このシーンは素材を撮影したワイラーがあとはよろしくと編集者にほとんど任せきりだったらしいが、各カットに漲る力感は圧倒的だ。4頭立ての馬に引かれた古代の戦車が広大な競技場をただただ走るそれだけでおそらく当時としては異例なほどの臨場感を体感させる。これは、デジタルエフェクト全盛の今日観ても十分に刺激的だ。

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