『尻啖え孫市』

基本情報

尻啖え孫市
1969/スコープサイズ
(2001/11/10 レンタルV)
原作/司馬遼太郎 脚本/菊島隆三
撮影/宮川一夫 照明/中岡源権
美術/西岡善信 音楽/佐藤 勝
監督/三隅研次

感想(旧HPより転載)

 清水寺で素足を見かけて心を奪われた信長の妹を求めて雑賀孫市中村錦之助)が城下に姿を現し、彼の率いる雑賀党の鉄砲隊の戦力を信長(勝新太郎)方に付けようとする藤吉郎(中村賀津雄)は信長の妹を嫁に差し出すという嘘で彼の歓心を惹くが、我が身を楯に信長を護ろうとする藤吉郎と実戦を共にするにつれ、友情が芽生えてゆく。ところが、探し求めた女(栗原小巻)が信仰する石山本願寺を信長が責めようとしていることを知った孫市は信長の暗殺を企てる。
 市川雷蔵亡き瓦解寸前の大映東映を離れた中村錦之助を擁して放った大型時代劇だが、佐藤勝の軽快なテーマ曲が青空に沸き上がる積乱雲をバックに鳴り響いた途端東宝の戦記映画かと見まがってしまうことに象徴されるように、何故か大映時代劇のスタイルを自らかなぐり捨てようとしているようにしか思えない不自然さが各所から滲み出る、実に不思議な映画となっている。

 そもそも宮川一夫キャメラには全く生彩が無いし、中岡源権の照明にもいつもの深みがなく、栗原小巻のライティングなど外様女優へのサービスが過ぎるというものだろう。しかも、戦国時代という素材の都合上ロケーションが主体で大映京都らしいステージ撮影技術の発揮できる場面が少ないうえに、制作費の問題も絡んで、かなり大がかりなモッブシーンや城塞のロケセットを組んでいるにも関わらずどうしても台所の苦しさが滲み出してしまう。ひょっとして大映スタッフは名前を貸しただけで、実際は中村プロが雇った外部スタッフが撮影していたなんてことはないだろうな?

 巨大な鴉の張りぼてが爆発する場面ではミニチュアワークとブルーバック合成が使用され、高台から退却する軍勢を遠望するカットでもブルーバック合成を用いるなどそれなりにスペクタクルな見せ場を意欲的に用意して、三隅研次の鮮やかなカッティングがキレの良いアクションを披露して見せる。ことに、信長の前で雑賀衆がアクロバティックな鉄砲術の演舞を披露するシーンなど三隅研次のケレンの見せ所で、さすがに見事というほかない鮮烈なカッティング。

 ただ、前半の中村兄弟が心意気で繋がっていくあたりの、大映というよりもマキノ雅弘的ともいうべき情感溢れる映画的な面白さが出色だっただけに、後半の石山本願寺を巡るエピソードの本郷功次郎栗原小巻らとの駆け引きが硬直して尻窄みの感は否めない。

 そう、この映画の最大の驚きは中村錦之助沢島忠と組んでいたあたりの演技的闊達さと軽快さを取り戻していることで、先日祇園会館で「柳生一族の陰謀」で変わり果てた陰惨な悪役として映画に再生した姿を目にしたばかりだから、その変わりようの無惨さに日本映画の苦渋が滲んでいるように思えてならないのだ。

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