■さて、本作は立派な夫婦映画で、夫婦愛の映画ですからね。初夜の努めに励んだ後、私たちが結婚したのは神様が意図した何らかの理由があるはず、という会話があったという布石がちゃんと前半にあったんですね。忘れてた。これを受けてクライマックスで、牧師の到着を待たず自ら悪魔祓いを実施する決意を固めて、危険だからお前は撤退しろと命ずる旦那に、私は残る、これが理由よ、今がその時よ!と嫁が返す感動的な場面が生きる。しかも、ジェームズ・ワンはここで感動的な音楽を流したりしない。ドラマ的には二つの家族のエピソードのうちの片方のドラマのクライマックスだけど、アクションの流れを途絶えさせない。ジェームズ・ワンの活劇志向は明白だ。
■実際、見直して驚いたのは、あまり怖くないこと。確かに、劇場で大音響で観れば、吃驚もするだろうが、本質的に怖くない。むしろリー・ワネルの『インシディアス 序章』などのほうが数等意地悪くて怖い。ジェームズ・ワンの演出は怪異描写も痛快なアクションに変貌する。ぶっ飛ぶ椅子はドアに激突して気持ちよく粉々に砕け散る。個々の怪奇現象はアクションとしてカタルシスに転化する。小気味いい編集がそのことに拍車をかける。
■たまたま前の日に『傷だらけの天使』を見ていたので、なんだか深作欣二の活劇志向と通じるものがあるなあと感じた。手持ちキャメラ、編集で小気味いいアクションを繋げる作風は案外ジェームズ・ワンと通じるものがある気がする。深作欣二って、なんとなく変に過大評価されているけど、正体は活劇職人ですからね。
■活劇演出が抜群に上手い人なので、もし『エクソシスト』に便乗して東映でもオカルト映画作れ、しかも大作で!と号令がかかったときに伊藤俊也ではなく深作に声がかかっていれば、ホイホイと乗って撮ったろうし、きっとそれはオカルト怪奇現象が活劇として描かれただろう。