感想
■明治30年頃、つまり日清戦争と日露戦争の間の時代、千葉の矢切で醤油の醸造業を営む旧家の15歳の跡取り息子政夫と、いとこの少女民子17歳の幼い恋心が、旧家の因習や世間体によって引き裂かれ、迫りくる軍国主義の時代に押しつぶされるまでを、ここまで泣かせるかという演出で綴る澤井信一郎の監督デビュー作にして傑作。もちろん木下恵介の『野菊の如き君なりき』も映画史に残る号泣映画で、”涙でスクリーンが見えません!”状態だけど、本作の泣かせ方も念入りなのだ。
■この映画を観るのも3度目か4度目だけど、これ東映映画じゃないよね。明らかに目指しているのは日活映画。純愛路線で一世を風靡した60年代の日活映画の世界が何故かここに再現されている。
■しかも、監督デビュー作に旧大映から森田富士郎を呼んでくる。どんなツテで森田富士郎に依頼したのかは知らないが、コテコテの理系技術系でありながら、感覚的な撮影も上手い森田キャメラマンの変幻自在で柔軟なテクニックが、時代がかった、しかも叙情的な映画を支えきっている。前半は季節感の関係もあり、妙に照明が明るくて調子が狂うのだが、後半の冬場に入るといつもの大映京都タッチの照明設計で、画調がどっしりとしてくる。もちろん、加藤治子の部屋の石油(?)ランプをキーライトにした照明効果など影の出方も大映京都メソッドそのもの。
■やたらと菊池俊輔の泣かせ音楽が繰り返されるのも気にはなるが、時代背景が、人間関係がもう哀しさ一色なので、次第に気にならなくなる。そして、TBSのドラマからそのまま抜け出してきたような役柄の樹木希林。政夫の学校で、ご大家のやりかたに愛想が尽きましたと吐露する場面から、民子の嫁入り行列に乱入する場面までがクライマックスで、今回改めて気づいたのは、嫁入り行列と中学校の騎馬戦(?)のカットバックの意図。競技ではあるんだけど、これは一種の軍事教練であって、組がぶつかり合う撮り方はまるで戦争映画のように荒々しい。軍人の家に嫁に入る民子と軍国主義の教育を受ける政夫。それが当時の時代背景であるが、単に背景ではなく、明治という富国強兵・軍国主義、家父長制の時代そのものが二人の未来に立ち塞がっていることが示される。つまり、陽の当たるエリートたちの正史『坂の上の雲』の裏面を描いた庶民の明治映画であって、『あゝ野麦峠』の兄弟映画なのだ。そして、前年に大ヒットして東映を潤した『二百三高地』の前史でもあるのだ。
■なぜか映画では目立った作品がない大ベテラン加藤治子は代表作になったし、お前の監督デビュー作には出てやるからなと言った約束を守ったに違いない丹波哲郎の特別出演も楽しい。しかもあの瞽女さんを演じるのは叶和貴子ではないか。
■木下版は笠智衆、大映の富本壮吉版は宇野重吉ときたので、どうするかと思えば本作は島田正吾が政夫老人を演じる。せっかく島田正吾を呼んできたのだから、最後にその後の自分の人生を振り返るナレーションなどがあっても良かったはずなんだけどね。何度か戦争もあった、結婚もしたが不本意なものだった、子供も戦争で喪った、といった明治から昭和にかけての男の半生を感じさせるほうがテーマがより鮮明になっただろうに。元々の脚本にはあったけど割愛されたかもしれないけどね。せっかくの島田正吾なんだからね。(まあ、当時のメイン観客にはこのおじいさん誰?って感じだろうから仕方ないか)
付記:企画開発の経緯
■この映画については、Wikipediaに企画開発の顛末の詳細が纏められていて、非常に参考になる。脚本はほとんど澤井信一郎が書き直したらしいし、森田富士郎の参加は、吉田喜重の幻の映画『侍・イン・メキシコ』が中止されたことから、吉田達プロデューサーが呼んできたらしい。企画開発の中心は吉田達であったことがよくわかる。最初に市川崑に話を持っていって断られるあたりの挿話は爆笑だな。
■脚本に宮内婦貴子を呼んできたのは、もともと日活映画のイメージが頭にあり、日活出身だからかなと想像していたのだが、山口百恵の『風立ちぬ』を書いていたから、とのこと。まあ、東宝の百恵映画は実質的に日活映画の系譜だから、イメージとしては日活映画があったことには違いないだろう。
野菊の墓 (映画) - Wikipedia
付録:木下惠介の傑作『野菊の如き君なりき』について
■木下恵介の『野菊の如き君なりき』はもちろん、2、3回観ている。高校生時代に、古臭くて、辛気臭い、暗い映画だろうから観たくもないけど、日本映画史上は有名作だから勉強のためと思って観てみたら、号泣させられた記憶がある。その後、再見してもやはり凄い映画だと感じる。誰も木下恵介のコピーはできないんだな。
■極めつけが以下の浦辺粂子の台詞。もちろん映画のオリジナル部分で、木下恵介が書いた台詞。杉村春子に泣く泣く他家への嫁入りを納得させられて消え入りそうな民子に祖母が声をかけるシーン。確か木下恵介は階段で立ち止まる民子の足元を映すんだな。このあたりの演出、映像構成も凄いんだ。もちろん役者は淡々と演じるけど、観客は民子にも感情移入するし、祖母の人生をも想像して大いに泣かされる。
「民子、政夫のことは忘れるんだな、わしがようく知ってるからな。」
から始まって、浦辺粂子の名演が続く。
「あああ、めでたいよ、めでたいよ。
だけどな、みんなも聞いとけなあ。
わしは今年六十になったけどな、六十年、生きてきた間で何が一番嬉しかったかと言うとな、死んだおじいさんと一緒になれたときぐらい、こんな嬉しかったことはなかったもんな。
わしはそれだけでもこの世に出てきてよかったと思っとるわ。
他のことなんざ、あってもなくても、どうでもよかったんじゃ。」
浦辺粂子の名調子を思い出すだけで泣けてくる名シーン。当然子どももできたわけで、普通なら子ども、特に長男を授かったことが幸せで仕方ないというのがこの時代の母の人情だと思われるのに、その意味ではこの時代における女性の想いとしては不自然なのかもしれないが、いやそうした時代背景だからこそ純粋に好きあって結ばれる、ただそれだけのことが人生の最大の幸福だと考える。
■明治の軍国主義、家父長主義の時代において、長男の誕生も、戦争に勝ったことも、「あってもなくても、どうでもよかったんじゃ」と言い切る、アナーキーともいえるこの思想の表明は、いかにも木下恵介の真髄といえる。今のところ『野菊の如き君なりき』は独立した記事がないので、こちらに名台詞を残しておきたい。
参考
東映が社運をかけ、「いま”明治”が熱い」という謎の信念で大ヒットしたのが舛田利雄の『二百三高地』。戦地に出兵したかどうかはともかく、『野菊の墓』の政夫も当然なんらかの形で日露戦争に関わっていただろう。
maricozy.hatenablog.jp
社運をかけなくてもNHKならこんな超大作が作れてしまうという、顎が外れそうな超大作。日本が『坂の上の雲』を目指して富国強兵政策をすすめるなか、地方の庶民はどんな思いで市井の暮らしを営んでいたか、それが『野菊の墓』のテーマだ。
maricozy.hatenablog.jp
もうひとつの『野菊の墓』かも。姉妹作のように似た映画で、忘れられた骨太の秀作『からたちの花』
maricozy.hatenablog.jp