困った!中村玉緒のアレしか記憶に残らない『好色一代男』

基本情報

好色一代男 ★★★
1961 スコープサイズ 92分 @アマプラ
企画:鈴木炤成 原作:井原西鶴 脚本:白坂依志夫 撮影:村井博 照明:岡本健一 美術:西岡善信 音楽:塚原哲夫 監督:増村保造

感想

市川雷蔵が元気いっぱいで、増村保造大映ホープだった頃、夢の顔合わせとして企画された大作だけど、大映京都だし、増村保造だから、舞台装置の巨大さ云々という話にはならない。増村保造は映画でそんな大空間を表現するのは興味ないからね。大映京都の美術としてもピンポイントで絞ったセットを構築するし、その質感の高さは他社の追随を許さないけど、それほど大作仕様でもない。

■世之介は女を幸せにすることが生きがいという男で、父親に勘当されると全国を点々としながら、日本各地の女たちを救済しようと試みるが。。。というお話で、この日本社会では女が可愛そうで気の毒なので、女を救うことが天命だと嘯く。日本社会のなかで自己や意志が抑圧される男たちに対して、女たちが狂的な意志で社会的な桎梏を逸脱する(けど迫害される)という図式劇を量産した増村だけど、本作にはそうした狂的な女は登場しないので、世之介が救って歩かなければならないことになっている。最後の若尾文子だけが増村的ヒロインなのだが、一瞬の登場なのでテーマを背負うことはない。

■ただ、大作仕様にしては女優陣が貧弱なのが大映の弱点で、若尾文子は最後にちょっと出るだけだし、中村玉緒水谷良重が大きな役だけど、それ以外の女たちは大映の脇役女優たちで、近藤美恵子、阿井美千子、浦路洋子、藤原礼子、真城千都世とひたすら地味。まあ、男優も地味だからしようがないか。これが東映なら。。。いやさすがに無理か。

■でもほんとに困っちゃうのは、この映画中村玉緒しか印象に残らないんですよ。もちろん演技的に完成しすぎていて、並の若手女優とは天性の位が異なるレベルなので、その意味では当然なんだけど。

■問題はそこじゃなくて、映像表現のうえで色々と定形をはみ出しているところがある。とにかく前腕部の体毛が異様に濃くて、ふさふさレベル。当然撮影時に本人やキャメラの村井博も含めてみんなかわっていたはずなのに、特に剃ることもなく、そのまま野放し。敢えて言えば、人物造形のために剃らせなかったというのが正解かも。貴人ではなく網元の囲い女だから。敢えて画面の構図上、手前に映るようにしているので、演出意図あるいは撮影意図だったはず。腕の毛を剃るくらい簡単なことだからね。

■しかも、玉緒が追手の男どもに襲われる場面では、キャメラがパンするのでカット頭の一瞬だけど、しっかりと乳首が大写しになっている。吹き替えではないから御本人です。事故映像レベルなのに、堂々とそのままカットせずに使っているのも、増村の演出意図だろうか。若尾文子ではきっちり吹き替えを使っているのにだ。そう考えるとむしろ、中村玉緒の本人の意志のような気がするのだな。男はんに襲われたら、自然と出まっしゃろ、と本人がしれっと言っている気がする。でもお父さん(鴈治郎)も同じ映画に出ているのにだよ!凄いぞ、玉緒さん。

参考



maricozy.hatenablog.jp
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中村玉緒という人も凄い人で、このレベルの女優は当時の東映にはいなかったな。
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