妻は告白する ★★★★

妻は告白する
1961 スコープサイズ 91分
APV
原作■円山雅也 脚本■井手雅人
撮影■小林節雄 美術■渡辺竹三郎
照明■渡辺長治 音楽■真鍋理一郎
監督■増村保造

■約10年ぶりに再見して、やっと素直に傑作と感じることができた。アマゾンプライムの一応HD画質だが、本作はなぜかマスターの画質が悪く、暗部にかなりのノイズが乗る。まさか16ミリプリントしか残っていないわけでもあるまいに、なんでこんなに暗部がザラザラしているのか、あるいは小林節雄の狙いだったのか?

■さて、やはり本作の凄さは脚本構成の密度にあり、裁判劇なので、回想、大回想を駆使して事件の顛末をサクサクと描いてゆく。増村保造の演出はすでにリアリズムを超えており、若尾文子を断崖絶壁の岩登りに連れ出す時点でリアリティは意識されていないし、やじ馬たちはありえない近さで若尾と川口の逢引きに図々しく介入するし、増村演出はそうした人間関係を望遠気味の画角で距離感を圧縮して舞台背景を意識させずに、人間だけに観客の意識を誘導する。

■たった90分で複雑な事件や人間関係やテーマを浮き彫りにしてゆく濃厚な脚本は図式的にならざるをえないが、それでも、川口、若尾、馬渕の三角関係は見事な構築で、馬渕の口から若尾の川口に対する命がけの愛情を語らせ、最後に若尾が人殺しならあなたも人殺しよと落とす終盤の畳みかけはやはり傑作。馬渕の口を借りて台詞で説明してしまっているのだが、リアリティを超越した増村ワールドではこれくらいの観念劇がちょうどいい塩梅に収まる。リアルな人間像系なら、やはり説明的に過ぎるだろう。

■真実の愛に目覚めた女は国家や家族や制度といった桎梏から逸脱して自由になるかわりに、それは女として認知されず、美しい怪物(化け物)として絶対的に孤立するという増村的テーゼが本作で鮮烈に打ち出された。山根貞男は狂人と呼んだが、怪物と捉えた方がしっくりくる。魂の自由を知ることができるのは女だけだが、それを知ってしまえば、もはや社会的な存在としての人間ではいられなるというのが増村映画の核心である。あるいは、それを魔女と呼んでもいいかもしれない。増村映画は魔女裁判の映画といえるかもしれない。

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