差別と戦うのは男だけの仕事じゃない!和田夏十の傑作社会劇『破戒』

基本情報

破戒 ★★★★☆
1962 スコープサイズ 118分 @アマプラ
監修:松本治一郎 原作:島崎藤村 脚本:和田夏十 撮影:宮川一夫 照明:岡本健一 美術:西岡善信 音楽:芥川也寸志 監督:市川崑

感想

■相当以前に一度だけ観た。多分一度だけだと思うけど、結構鮮烈に記憶している。と思っていたけど、特に後半の重要な部分を覚えていなかったし、娯楽映画としてカタルシスもあり、(当たり前だけど)単にお涙頂戴のメロドラマではない非常によくできた映画なので感心した。と言うか、感動した。絶頂期の和田夏十の筆は凄い。

■何しろ自社の看板スター雷蔵被差別部落民(原作では「穢多」と呼ばれるけど、映画では「部落民」)を演じさせるという大胆すぎる企画なんだけど、実は市川崑の念願の企画。しかも、1961年に和田夏十の脚本で先に連続テレビドラマ化していて(びっくり!しかも当時の市川染五郎が主役!どうなってるの?)、そのカミングアウトの感涙の演出が受けて、永田社長としてもあれは受けると踏んでGOしたらしい。まあ永田雅一はもともと京都千本組のやくざ出身なので、仲間うちに部落出身者もいたはずだし、その点で違和感はなかっただろう。当然のこと、当時の部落解放運動のドンである松本治一郎のお墨付きを得ての映画化だ。

■肝心の雷蔵は、なにしろ苦悩する暗い表情ばかりを演じることになって気の毒だし、変化のつけようも難しいし、困っただろうと想像するけど、そこはもう天与の才能で乗り切った。うつむいて昏く悩む表情で萌えるなんて、雷蔵以外にありえないだろう。いや森雅之がいるけど、年齢的に合わないからね。そういえば、雷蔵は(あるいは監督も)若い頃の森雅之をイメージしたかもしれないね。

■今回観直して驚いたのは、やはり女性陣の描き方。出自を隠せという父(浜村純)の戒めを守ってひたすら苦悩する雷蔵、社会運動を組織した猪子蓮太郎(被差別部落出身であることを自ら明かした三國連太郎が演じて、好演。ただし、三國は業界内では「嘘つきレンちゃん」と呼ばれた曲者だから要注意)たちが、いわば行動する主体とみなされるが、最終幕で実はその背景に隠れがちだった女性たちが、ただ男たちに黙って付き従う存在ではなく、実は男たちよりもしっかりした知識と意見を持って、すべてを理解しつつ意志的な主体として存在していることがせり上がってくる。一人は本作が女優デビュー作の藤村志保であり、他方は岸田今日子である。

■女優デビュー作でこの存在感をリアルに演じた藤村志保も相当に凄いけど、ちゃんと映画的に演出したこの頃の市川崑はやはり凄いよね。キャメラの切り取り方とか編集でうまく見せるテクニックも凄いけど、岸田今日子とか杉村春子に混じって、映画の中では全く引けを取らない藤村志保の「塊感」はなんだろう。天才女優か?雷蔵が悩んで中途で手放した猪子蓮太郎の書籍「懺悔録」をこっそり読んでいて、しっかり正確に理解しているあたりの作劇も凄いし、いつも連太郎の背後に隠れていた岸田今日子が猪子蓮太郎の死後にしっかりと(主人とも異なる)自分の考えを語り始める場面も圧巻で、雷蔵のカミングアウトで泣かせて終わらせないという強い意志を感じさせる脚本構成だ。まあ、カミングアウトのシーンは雷蔵だから出るニュアンスとか味が唯一無二のものなので、尊いのだけど。

■シナリオのS61で岸田今日子は次のように語る。もちろん映画のオリジナルの部分で、和田夏十もよく書いたけど、岸田今日子の名演も圧巻。

「(前略)でも瀬川さん、なぜ学校を止されるのです。私には告白なさる必要さえなかったように思えるのですよ」

とカミングアウトを全否定し、さらに瀬川(雷蔵)にとどめを刺す。

「人が貴方のことを部落民だと噂するなら、させておおきなさいまし。噂だけのことですもの。人が面と向かって貴方は部落民かと聞いたら、そうですと返事を遊ばせ。嘘をつくにはあたりませんもの。それだけのことですわ。」

おそらく、というか確実にこの部分は脚本家の原作小説へのアンサーになっていて、原作が書かれた明治時代から敗戦後の時代の移り変わりを反映して、その当時の女たちというよりも、1962年時点の現代の女たちの視点を盛っているのだろうし、そこに映画化の意義がある。

■男たちの戦いは反差別に対する社会運動にしても、いずれ「戦争」に似た暴力的な形態を取ることになる(実際そうだった!)けれど、女の戦い方はそうじゃないのだ、違う戦い方があるのだ、あるはずだというのが裏テーマになっていて、舞台設定が日露戦争下になっていることもその意図を体現したもの。

■男たちの戦いとしての日露戦争や(暴力的な)反差別闘争に対して、女達はある種冷めた目で眺めている。その戦闘的な運動が本当に永続的に社会を変革することになるのかと。そこまでテーマに盛り込んだ、盛り込むことのできた和田夏十の余裕はなんだろう。絶頂期の勢いとしかいいようがないのだが、凄すぎて驚嘆した。

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