卍 ★★★

卍

1964 スコープサイズ 91分
APV
原作■谷崎潤一郎 脚本■新藤兼人
撮影■小林節雄 美術■下河原友雄
照明■泉正蔵 音楽■山内正
監督■増村保造

増村保造の映画としてはそれほど良いとは思わないのだが、久しぶりに見直すとなかなかいろんな見どころがある。まず主演の岸田今日子が綺麗。増村演出のお馴染みの強めの棒読み台詞+上流階級の大阪ことばという難題を見事にこなしているのだが、実質的に本作の主役であって、非常に綺麗に撮られている。谷崎原作の台詞まわしのこってりとした美しさは本作でも見事。
■一方の若尾文子演じる光子は観音のように美しいのだが、こちらも上品な大阪ことばを駆使するので、単なる色情狂には見えず、何かを企んでいるようにも見えるし、行き当たりばったりにも見える。光子のフェロモンに引き寄せられる男や女が破滅してゆき、一人岸田今日子が取り残されて、光子の真意は遂に不明のままという映画だが、個人的には物足りなくて、最後にツイストが欲しい気がするのだ。
岸田今日子谷崎潤一郎に見える三津田健に語り聞かせるというスタイルのせいもあり、これはよく奇妙な味のミステリーの短編にあるパターンなので、回想の終わった後になにがしかのツイストがないと落ち着かない気になるというわけだ。実際、原作をアレンジして光子のその後とか、真の狙いとかが明らかになるという決着の付けかたも十分ありうるだろう。実際、岸田今日子船越英二を完全に支配下に置いて二人を心理的に翻弄してゆくあたりは、尼崎事件を思わせる怖さがあるので、光子をそうしたモンスターとして描くやり方もあるだろう。映画でははっきりとは描かないが、ひょっとしたら、原作にはそうした含みがあるのかも。
■でも、この映画は恐ろしさではなく、喜劇的なおかしみとして描いている。絶対的な美が周囲に巻き起こす災厄を描いた一種の心理的災害映画なのかもしれない。