公家や坊主ども、今に見ておれ!次の時代は俺たち武士のものだ by清盛『新・平家物語』

基本情報

新・平家物語 ★★★☆
1955 スタンダードサイズ 108分 @DVD
企画:川口松太郎、松山英夫 原作:吉川英治 脚本:依田義賢、成澤昌茂、辻久一 撮影:宮川一夫 照明:岡本健一 美術監督:水谷浩 音楽:早坂文雄 監督:溝口健二

感想

最終更新:2022/8/29
■俺の名は平清盛。俺の若い頃の平安末期は、天皇上皇が権威を競い合い、一方比叡山の僧兵たちが専横を極めて、きっと戦が起こるに違いないと民衆たちも噂していた時代だ。俺たち武士階級も馬鹿な貴族たちに使役され、戦で手柄を立てても褒美ももらえず、みんな鬱憤を溜め込んでいたんだ。でも、ついに父親忠盛が昇殿を許され、みなで喜んでいたのもつかの間、公家たちの暗殺計画があることを知った俺たちは、すぐさま宮殿に乗り込んだけど、それが逆に災いを呼ぶことになってしまった。若き日の短慮を、父上は許してくれるだろうか。。。

吉川英治の当時のヒット小説を三部作で映画化する企画で、第一部を世界的巨匠だった溝口健二に委ね、主演には期待の若手、市川雷蔵を据えた大映の意欲作。翌年にはちゃんと『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』(監督:衣笠貞之助)、『新・平家物語 静と義経』(監督:島耕二)が公開されているが、ほとんど忘れられた映画になっているね。まだワイドスクリーンは導入されていないので、スタンダードサイズなのが惜しい。スペクタクルシーンは、絶対シネスコの方が映える。でも今回見直すと、非常によくできたドラマ、時代劇なので感心した。

■公家や僧侶たちから差別されていた時代の武士階級が、世の覇権を握るに至る道筋の発端を、たいそうドラマティックに、いきいきと描き出す。基本的に青春ドラマでもあるところが時代劇映画の素材としては相性がいいのだ。清盛の旧体制への反抗心の芽生えと、出生の秘密を巡る母との確執が綯い交ぜに描きこまれ、父親の属する世界である武家社会と、母親の連なる世界である公家の世界、そして遊芸の世界が、主人公清盛を扇の要として俯瞰されるという、なかなか豪勢な作りで、しかもそれがかなり成功しているから、三人がかりで脚本を練ったかいがあるというもの。この脚本なら、誰が撮っても間違いない映画になるだろう。

■忠盛を演じる大矢市次郎は新派の名優だが、貴族の誠実な下僕としての実直で耐える武士像を好演する。家庭人としても横柄な妻に抗わず耐え忍ぶ偉い人。父親の心中を察しながら、拗ねて父親と半目することになる清盛の青年像も鮮明で、市川雷蔵が熱演する。熱演しても決して浮かないのがこの人の美質で、一方に天皇、公家との繋がりを鼻にかけて忠盛を軽視する母親泰子に対する反感と軽蔑、肉親としての愛着を複雑に演じ分ける。さらに清盛の出生の秘密まで絡んで、清盛の心中、休む間もない、大波乱の心理劇。

■母親泰子の人間像の醜さを念入りに描くのもさすがに溝口組で、木暮実千代も権高に好演するし、見事なはまり役。最終的に、所詮あの人はあるべきところに戻ったのだ、と清盛が自分の母親をバッサリと総括する酷薄さも凄い。でも、それは青年清盛の人間としての成長に違いないのだ。

■他方に、来るべき覇権の交代と時代の潮目をいち早く感じ取って、清盛を全面的にバックアップする商人の伴卜(ばんぼく)がイケイケドンドンのバブル期の不動産屋さながら、清盛の青年らしい野心を掻き立てるのも、素直に痛快。本作のキャラクターデザインは、原作小説の挿絵に準拠しているらしく、清盛も伴卜もメイクが漫画的で、映画全体も必ずしもリアリティを追求したものではない。そこが相対的な評価の低さにつながっていると思うが、いわば「るろうに剣心」とかの漫画の映画化で、いかに原作ファンを失望させないように漫画に忠実に映画化するかが映画の出来の判断基準になってしまった昨今の状況にも似ていると感じる。原作ファンは喜んだが、うるさ型の批評家には不評という構図じゃないかな、約70年前から。

■こうして清盛の青年としての成長を描いた、青春映画として完成した本作は、時代劇映画としてはかなり上出来で単純に面白い映画になっている。やっぱり、時代劇映画は(なぜか)不可避的に青春映画なのだと再確認した次第。久しぶりに観ると、やっぱり雷蔵良いよなあ。

(追記)
溝口健二の書生として数々の大映映画の時代考証、風俗考証等に助監督として携わった、故宮嶋八蔵氏の証言が非常に興味深い。
新平家物語
例えば、以下の通り。

徒党(2)の俳優さんが、セリフを噛んで何回テストをしても同じ所で詰まるのです。そこで私は監督に「俳優さんを変えましょうか。」と言いますと、監督は「代えてはいけません。あの人は一生懸命なんです。一生懸命さには、それだけの力があります。外で稽古をさせて、あの人にやらせなさい。」と言われました。5分程外で、活舌法と台詞をゆっくり稽古してもう1度やってもらったのです。そこでOKが出ました。
(出所:宮嶋八蔵日本映画四方山話)

溝口健二は俳優に具体的な指示を出さないので有名で、役柄の説明はするけど、どう演じるかを考えるのは役者の仕事という理念があった。だから、理由のよくわからないNGが多発したと言われるけど、理念としては非常に理解しやすいし、役者の職分に対するリスペクトがあった。それはこうした大部屋俳優に対しても同様だったという感動的な逸話。ホントにいい話。

■さらには、

 ③帰宅した泰子が忠盛の前で座るのですがこの頃は、朝鮮座りで、片足を立てて座るのです。そういう事は小暮さんにも話してありました。正式に十二単を着ている女官なども着物も脱がず袴も穿いたまま用を足します。袴の股下が割ってあり用が足せるようになっています。先に戻ってそういう女性が朝鮮座りをすると、股の間の割れ目から秘め所が見えますので、そこに紅で化粧をしていたのです。
 これが紅さしの初めです。紅は紅花から作られました。小暮さんの袴には割れ目は作っていませんがちゃんと朝鮮座りをされています。
(出所:宮嶋八蔵日本映画四方山話)

との解説があり、木暮実千代は、乳房露出のギリギリの衣装(絵巻物の記述では、当時完全に露出していたらしい)で、しかも立膝で秘部が丸見えという役柄を演じていたのです。いやに露出の多い衣装と思ったら、実際はもっともろ出しだったということで、なかなか今の感覚では思い至らないですよね。

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