差別に滅気ない小樽の少女!忘れられた児童映画の佳作『サムライの子』

基本情報

サムライの子 ★★★☆
1963 スコープサイズ 94分
企画:大塚和 原作:山中恒 脚本:今村昌平 撮影:井上莞 照明:北内年武 美術:岡田戸夢 音楽:渡辺宙明 監督:若杉光夫

感想

■かつて、昭和40年代中盤くらいまで北海道の各所に「サムライ部落」と呼ばれる細民街が散在していた。大正末から昭和の初期にはすでに存在しており、戦後は引揚者もすみついたという。北海道に限らず戦後にはそうしたスラム街が日本各地に存在した。劣悪な立地にバラック建ての家屋が雨後の筍のように立ち並び、住民たちはゴミ回収や廃品回収などで生計を立てていたという。高度経済成長が終焉するまでの時期に、日本中で共通的に見られた光景だ。月刊北海道経済の以下の記事が分かりやすい。

記録に残っていない〝集落〟
初めに断っておくが、「サムライ部落」とはあくまでも当時の通称。役所では「厚生部落」と呼称されており、関西のいわゆる被差別部落とはまったく性格を異にする。今風に言えば、粗末ながらも居を構えるホームレスたちの小さな集落と言えるかもしれない。
サムライ部落と称されるものは、旭川のほか札幌や函館、小樽にもあった。一番知られているのが札幌白石地区の河川敷にあったもので、昭和初期から札幌冬季五輪が始まる40年代中頃まで150世帯ほどの集落を形成していた。
出典:月刊北海道経済 https://h-keizai.com/?p=368

■そのうち、小樽に存在したサムライ部落に一人の少女ユミが父親と引っ越してきて、継母と住むことになる。小学校に通うがサムライ部落の子だとわかると差別されるので、偶然知り合った女子高生から服をもらって良家の子と偽ってしまう。その後、警察が浮浪者の集団をサムライ部落の外縁に収容すると、ミヨシと名乗る女の子と知り合いになり、学校に行きたいという彼女のために世話を焼くが、競輪で当てて手に入れたリヤカーを盗られた父親に愛想を尽かした一家は部落を出て、橋の下に住み着くが。。。
■本作も製作は日活だが、実制作は民藝が行っており、スタッフは民藝映画社のお馴染みの面々。しかも、小樽に実在したサムライ部落やその周辺で約40日間に及ぶオールロケ撮影を行ったという意欲作。室内シーンは日活のステージで撮影したのかと思いきや、現地の花園小学校の体育館にセットを組んでステージ撮影を行ったという。このあたりの方法論は独立プロの映画製作メソッドという感じだ。実際の撮影は1962年4月に行われたが、公開時期は大幅に遅れており、一時期お蔵入りしていたようだ。あるいは内容的に相当地味なので、各種団体のお墨付きを得るために時間を要したのかもしれない。
■脚本を今村昌平が書いていることから、日活の企画部としては様々な賞を受賞した児童映画の傑作『にあんちゃん』の路線を狙ったものだろう。撮影当初には「『キューポラのある街』に次ぐ名作」という惹句があったらしいので、『にあんちゃん』『キューポラのある街』は一つの路線なんですね。ひょっとすると監督もやって欲しい気持ちがあったかもしれないが、そもそも『にあんちゃん』もイヤイヤ監督したくらいなので、流石に受けなかったわけだろう。
■それにしても今村昌平のこども映画は傑作揃いなのだ。自分の監督作はおとなの視点と独特の妄想が綯い交ぜになった「変な映画」になるのだが、なぜか他人に脚本を書くときは非常にオーソドックスでリリカルな映画になるのが不思議。本作も差別と偏見の重層的な構図を端的に見せながら、子どもたちの心情を的確に掬い上げる。
■サムライ部落では一応ゴミ収集という正業でかろうじて成り立っている定住民だが、ノブシと呼ばれる浮浪者集団は正業を持たず、親は泥棒や当たり屋、子どもは残飯漁りや賽銭泥棒で糊口をしのぐ、サムライたちの更に下層な階層として描かれる。このあたりのヒエラルヒー構造はリアルでシビアだし、ミヨシと名乗る戦争直後の浮浪児のようにボロボロの少女が、裕福そうな親戚に引き取られ、セーラー服を着てスラム街を去るラストの逆転劇は素直に感動的だし、ユミが自覚と尊厳を込めてはじめて「サムライの子」と自称する場面も変に押し付けがましい演出や音楽を避けて、素朴に感動的だ。
■なにしろ主演の田中鈴子という子役が抜群にセンスが良く、サムライ部落の有様に驚き、周辺住民からの差別的な視線を自覚し、サムライの子であることを隠すようになり、最後にはサムライの子であることを受け入れ、学友たちとも和解してゆくプロセスが、ホントに上手く描かれていて、心理の流れが自然と共有される。
■さらりとこんな珠玉作を書いてしまう今村昌平の才能もすごいけど、子役たちの名演を引き出した民藝の若杉光夫の演出も凄いんじゃないかと思う。サムライ部落の独特の高低差を生かした立地の見せ方や、その巨大なスケール感も含めて、黒澤明の組んだ巨大オープンセット並の劇的効果を生んでいる。サムライ部落の情景だけで映画的スペクタクルに満ちているから凄い。
■自堕落な父親は『大出世物語』でもバタ屋を演じた小沢昭一で、今村組の常連でもあるから当然の配役で、その妻で知的障害がある女を南田洋子が演じるのが異色。ただ、メイクがリアル路線ではなくなぜかコミカルな印象で、ちょっと違和感があるが、敢えてリアリズムよりピエロのイメージを狙ったのかもしれない。校外でいじめられる継子ユミを見かけて助けるが、素性を隠すために敢えて他人のふりをするエピソードは、まあありきたりのお涙頂戴作劇とはいえ、演出も淡白ゆえに、やっぱり泣かされる。この事件によってユミは継母を実の母同様に慕ってゆき、不甲斐ない父親に対してともに反抗してゆく。このあたりの件は原作小説ではユミと父親のエピソードとして描かれており、今村昌平の改変だが、大成功だろう。
浜田光夫松尾嘉代の労働者カップルが大人と子どもの中間である若い世代の代表として登場し、取ってつけた感もあるものの、物語に明るい希望を付与している。確かにこの時期の浜田光夫の屈託のない明るさは、スターとしての輝きに根ざしたもので、稀有のものなのだ。
■これだけの良作を埋もれたままにしておくのは、あまりにも勿体ないので、日活さんはDVD出してくださいよ。永らく在庫がない『にあんちゃん』も再販よろしくです。
www.nikkatsu.com
田坂具隆の代理で今平が監督した『にあんちゃん』も今見ると非常に貴重な、ドキュメンタリーな子ども映画で、炭鉱映画。『空の大怪獣ラドン』などと二本立てで観るのがオススメ。
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▶この有名作も実態は子ども映画なんですね。監督の浦山桐郎が証言しているように。
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▶日活映画でバタ屋といえば小沢昭一の十八番、ということになっているらしい。
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▶こちらも民藝制作の日活映画。若杉光夫の再評価が望まれる。
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