血が青いんが、なんで悪いとや!イブの夜、全世界同時大虐殺『ブルークリスマス』

基本情報

ブルークリスマス ★★★
1978 スタンダードサイズ 133分 @アマプラ
脚本:倉本聰 撮影:木村大作 照明:小島真二 美術:竹中和雄 音楽:佐藤勝 監督:岡本喜八 

感想

■これは実に微妙なタイミングで世に送り出された異色作で、日本映画史上でどこに位置づければいいのか散々悩むことになる一作。日本では『未知との遭遇』が公開され、SF映画ブーム、SFX映画ブームが勃発したそのころ、特撮映画のメッカであるはずの東宝からノン特撮のSF映画が誕生する。正直、え?って思いましたよね。なんで特撮映画じゃないの?と言うのが正直な感想だ。しかも、脚本をテレビドラマの売れっ子の倉本聰が書いているし、その前には東映で『冬の華』をヒットさせていた時期。映画史のパースペクティブが大きく歪んでいた時期と言える。

■映画の構成も異色で、前半は仲代達矢が主演で、国営放送を軸として青い血の存在とそれを巡る世界的な陰謀がポリティカル・フィクションとして描かれ、後半は勝野洋を主演として、自衛隊による青い血に対する弾圧、粛清への暴力の連鎖とメロドラマを並行して描く。

■前半のポリティカルフィクションの部分に旨味が多くて、なかなか日本映画では実現しないPF映画を成立させているし、岡本喜八独特の編集リズムが冴えて、ああ、こういうの観たかったよねえ、と素直に感じさせる。それを封切り当時胸に刻んだのが庵野秀明で、『シン・ゴジラ』では忠実に岡本節をコピーして見せた。

■キャストが無駄に豪華で、低予算映画のはずなのに超豪華キャスト。岡本喜八の人徳といえるだろうけど、この直後の『惑星大戦争』に比べるとホントに豪華だよね。オールスターキャスト。国営放送の大河ドラマの看板女優が実は青い血の持ち主で、主演から下ろすために麻薬パーティ・スキャンダルをでっちあげるというエグいエピソードは倉本聰の業界残酷物語タッチで、実にリアルだし、青い血の存在を巡る国際的な謀略を不気味に描き出すことに成功している。このタッチで全編統一してほしかったというのが、SF志向の当時の若者の実感だろう。

■ところが後半は勝野洋竹下景子のメロドラマに移行して、みんな「これじゃない」と感じたところだろう。実際のところ、メロドラマがきちんと機能して、泣かせる作劇になっていればそんなに違和感はなかったと思うが、そこはあまり成功していないのだ。スクリーンプロセスを極上に駆使して描かれる夜のタクシー内の場面など、実に情感たっぷりで演出としては上出来だし、草野大悟が登場して警官隊にボコボコに殴られる反差別団体の地下集会の場面なども決して悪くはないのだが、実際のところ聖夜の大虐殺でドラマ的に決着していないのが苦しいところ。その後、人類がどうなったのか、これを描かずには終われないお話のはずなのに、そこは割愛してしまうから、評価はどうしても下るのだ。それなら『吸血鬼ゴケミドロ』を観れば、と言うのだろうか。

■豪華キャストゆえに見せ場には事欠かないが、学生による全国民血液検査反対のデモ隊を見下ろしながら国営放送首脳部の大滝秀治島田正吾
「学生ってのは不思議な種族だなあ。いつの時代にも彼らの中にはなにかを予知させるアンテナってのを持ってるのかねえ。」
「だが、常にピントを外れているがね。」

と語り合うシニカルな名場面は、60年安保闘争の大擾乱を眼下に自民党首脳部が交わした会話を踏襲しているだろう。

■この近未来PFには60年安保の挫折の記憶が塗り込められている。小松左京の超未来SF小説が太平洋戦争の敗戦の記憶によって発動されたように、倉本聰のSFには60年安保の敗北が隠されているように思う。倉本聰は日活映画でそのキャリアをスタートさせたが、当時の日活映画はもっとも60年安保の挫折をナイーブに抱え込んだ若い映画会社だった。その証拠に、数々のナイーブな映画を残している。

■その意味では、この脚本は東宝ではなく、日活系の監督が撮るべきだったかもしれない。浦山桐郎は撮らないから、実はこれ熊井啓が適任だったかもと思うのだ。その場合、前半の主役は宇野重吉だろうし、後半の主役は加藤剛だったり山本圭だったりするかもしれないけどね。

※主題歌はCharが歌いました。というか、完全に忘れてました。でも改めて名曲じゃないですか!
www.youtube.com

© 1998-2024 まり☆こうじ