黒岩重吾の短編集『西成山王ホテル』と日活映画『落葉の炎』について

■以前に日活映画『落葉の炎』については以下の記事で残念作と評したところですが、ずっと気になっていた原作短編を読んだので、その比較を試みたいと思います。念のためもう一度映画を観てみましたが、、、やっぱり残念でしたね。良い場面もいくつかあるので忘れがたいし、いい企画だっただけに惜しい気がします。
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■なんといっても原作はヒロイン(間柄不二、映画では間柄冬子)の日常生活の拠点を西成の飛田釜ヶ崎界隈としているところが魅力なので、横浜の場末に設定した映画は大失敗している。ヒロインが自分の本当の生活を見せてあげるといって地下鉄の動物園前駅を出ると通天閣がそびえ立つ猥雑な新世界の情景がバーンと飛び込んでくるところが原作ではキモで、映画的にも中盤の大きな見せ場になるはずが、これを外したのは残念すぎる。まあ、西成飛田での現地ロケは不可能と踏んで舞台設定を横浜に変更した気はするけど。なにしろ中平康の『当りや大将』の現地ロケも当然ながら大変だったので、和泉雅子釜ヶ崎に立たせるわけにはいかないと、まあ考えるよね、普通。
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■それに中盤の失火場面は、映画ではほとんどやる気のない曖昧な描写なのも大きな欠点。原作ではヒロインが自らヒロポンを打って死ぬ気満々なのだ。というか、彼氏に抱かれたいという激しい肉欲を抑えるためにヒロポンを打ったし、やっと出逢った純粋な愛の前に、自らの自堕落な汚れた半生を恥じてすべてを清算するために死にたかったと最後には告白する。だからこの失火の場面は非常に重要なのに、非常に中途半端な演出で、本作はどうも前田満州夫監督のやる気が感じられない。もっとハードな人間描写が嗜好だったのか、明らかに不出来な脚本に気が乗らなかったのか。

■やくざの親分の娘だけど父を憎んで不行跡を重ね、父親から酷い折檻まで受けてもへこたれないから組の子分たちにも一目置かれるというヒロインの激烈で強靭なキャラクターが描かれないのも欠点。だから、最終的に死ぬことになる運命も、火災で死ねなかった運命を、愛の深さゆえにもう一度巻き戻して自死を試みるという展開(だから二人が再会しなければ彼女は死ななかったのだ!)になるのだが、映画では単に通りがかったトラックに飛び込むという、よくわからない自裁の仕方になる。

■そもそも映画では終盤を北海道の修道院に設定してしまったのもイカンし、顔の大火傷(出た!)もどうしても処理が甘くなるし、基本的にもっとリアル志向で撮るべきだった。原作原理主義ではないけど、舞台は原作通りで製作すべきだった。ああ、勿体ない。

黒岩重吾の小説は初めて読んだけど、中間小説ゆえか、心理描写は意外にも淡白で、しかもかなり客観的。登場する人物はかなり激しい思いを持っていてエキセントリックなんだけど、筆致は覚めていて、しかも展開に心理的な飛躍があって、謎を残す。今のところ「落葉の炎」と「崖の花」しか読んでないけどね。

参考



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黒岩重吾の小説の映画化は1960年代にかなりありますね。しかも秀作、佳作が多い印象。でも日活よりも大映のほうが肌合いがあっている気がする。
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