基本情報
キューポラのある街 ★★★☆
1962 スコープサイズ 100分 @amazonプライム・ビデオ
原作:早船ちよ 脚本:今村昌平、浦山桐郎 撮影:姫田真左久 照明:岩木保夫 美術:中村公彦 特殊技術:金田啓治 音楽:黛敏郎 監督:浦山桐郎
あらすじ
■鋳物工場が集まる川口市、鋳物職人の父が工場を頸になり、やっと決まった再就職口をしくじったとき、頑張って普通高校に進学しようとしていたジュン(吉永小百合)の心は折れそうになる。修学旅行にも行けず、不良の餌食になりそうになってしまう。一方弟のタカユキ(市川好郎)は悪ガキだが、悪友の朝鮮人の子サンキチの一家が北朝鮮に帰る決心をすると、別れの覚悟を決める。。。
感想
■浦山桐郎の監督デビュー作で、一見小百合&光夫のコンビ映画に見えるが、実際は浜田光夫は脇役の一人で、実質の主役は小百合と弟役の市川好郎である。つまり、日活名物青春映画ではなく、むしろ児童映画に近い。その点、川島組の兄弟子の今村昌平が撮った『にあんちゃん』に似ているかもしれない。本作は弟弟子の監督デビューのために今村が脚本を書いている。鬼のイマヘイ、蛇のウラ公と呼ばれて恐れられた助監督コンビだったらしい。ひょっとすると、ジュンとタカユキの関係には、今村と浦山の関係が反映されているのかもしれない。いや、タカユキとサンキチか?
■映画の前半、主役のジュンは中学生で15歳だが、まだ初潮を迎えていない。父親の東野英治郎が、娘たちが在日の子と付き合っているのを聞いて、朝鮮人の子とは付き合うな!と怒るのに対してすぐさま、朝鮮人だから何が悪いのよ!と反論するのがジュンのキャラクターで、吉永小百合の実像に近い役柄であったらしい。さらに東野英治郎が、戦争でも起これば炉は吹きっぱなしだとつい本音を口走ると、自己中心主義!と間髪入れず猛烈に反駁する。この瞬間湯沸かし器のような率直な意思表明や怒りの表出が60年代の吉永小百合のパブリック・イメージであり、多くの若い学生や労働者に支持されたわけだ。
■ただ、当時今平が三十代半ば、浦山が三十代になりたての、新進気鋭だから、さすがに若書きの節はある。労働組合に対する無邪気な信頼感や北朝鮮への憧れ(?)とか。加藤武演じる教師の伝聞として語られる「一人が五歩進むより、十人が一歩ずつ進むほうがいいって。」という台詞とか。俺達にはまだ大人は描けないけど、子供たちならリアルに描けるぞという目論見があったのではないか。でも学芸会で「朝鮮にんじん」と野次られたサンキチのために野次った子どもにタカユキが制裁を加える場面などは、意外に演出的に冴えない気がするし、そもそも同時録音の都合上か、子どもたちの台詞がかなり聞き取りにくいのだ。
■今回再見して、サンキチのエピソードは、太田愛がウルトラマンダイナで書いた傑作『少年宇宙人』のルーツではないかと感じた。いや、あれを観たときに何かこれ前に見たことがあるなあと感じていたが、ああこの映画だったのだ。タカユキは、日本人である母親と別れ、父親の故郷である朝鮮に還ることに躊躇するが、悪友たちに励まされながらついに受け入れる。「少年宇宙人」のサトル少年は友達たちに送られてもなお宇宙に還ることや自分の未来に不安を覚える。そしてダイナに励まされ導かれて、新しい未来に旅立つ。この、未知の未来へ旅立つ少年のエピソードは実際のところ「少年宇宙人」のほうが成功しているよね。
■姫田キャメラマンの仕事としては、後年の作品に比べると撮影的な冒険は少なく、オーソドックスに撮られているが、ロケメインのモノクロ撮影は精細で絶品。確かに、いかにも照明を仕込んだ感じのカットも或るが、ナイトシーンはちゃんと夜に撮っているし、学校の校庭も書き割りではない。例えば同じモノクロワイドでも、大映だともっとコントラストを強く現像して、黒が大いルックになるが、グレートーンが豊かななめらかなモノクロ映像なのだ。今平組でのオール・ロケ、オール・シンクロ撮影の冒険を経て、姫田真左久のスタイルも変化し、『愛と死の記録』ではもっと柔軟にキャメラが動くし、大胆になってゆく。
■おまけに、浦山監督の演出は今平とか神代などの軟体的なスタイルではなく、非常にオーソドックスで、カット割りも積極的に行う。まるで岡本喜八のようなカット繋ぎもあり、驚かされる。