生きものの記録
1955 スタンダードサイズ 113分
DVD
脚本■橋本忍、小国英雄、黒澤明
撮影■中井朝一 美術■村木与四郎
照明■岸田九一郎 音楽■早坂文雄(遺作)
監督■黒澤明
■この映画は相当以前に観て、あまりに歪な映画で普遍性が感じられないという印象だったのだが、このたび観直して、評価が一気に逆転した。この映画は黒澤明による『ゴジラ』への返歌であることを確信した。黒澤明は弟弟子である本多猪四郎の『ゴジラ』を実はかなり意識していたのではないか。そして、俺なら怪物に頼らず、特撮のスペクタクルにも依拠せず、同じテーマを物語ることができるぞ、一人の男に託してこんな風にな、という発想で生まれた映画ではないか。だから、工場の火災とか燃え上がる太陽の場面に、一切特撮は使わずに描こうとした。(ただ、だから黒澤明本人は燃え上がる太陽のギラギラ具合は全然物足りなかったと述懐している。)
■三船敏郎演じる老人は人一倍精力的で、生命力に満ちている。それは動物的な本能がスポイルされずにギラギラ息づいている人間であって、それゆえに本能的に放射線の恐怖を常人よりも直感的に感じ取っているという設定で、その設定の異様さがこの映画が公開当時ヒットしなかった原因であろう。もちろん、志村喬演じる歯科医が常人の視点でこの老人の狂気の中に、人類に普遍的なものを感じ取らせることで普通の観客を混乱させないように作られているわけだが、それでも狂人の妄想を巡る物語という観客側の構えが映画の真価を理解することを阻害してきた感がある。ところが、3・11以降の日本人にとって、この老人の神経衰弱はリアルな現実となってしまった。この映画は実は未来の悲劇を予見するSF映画であったのだ。
■と考えると、この映画がのちの東宝特撮映画に残した影響はかなり大きかったのではないかと思われてくる。社会的な大きな問題をわかりやすく劇化する場合は、家庭劇に仕立てるというのは特に松竹映画で完成された手法だが、本作はまさに松竹映画的で、このアイディアを木下恵介が松竹で撮っていれば、もっとヒットしたかもしれない。この映画の直系に、明らかに『世界大戦争』が位置している。もともとは橋本忍が書いていたこの映画は『生きものの記録』で十分に観客に伝えきれなかったことを家庭劇としてもう一度仕切り直す意図があったのではないか。『ゴジラ』『生きものの記録』『世界大戦争』は血の濃い兄弟映画と言えるだろう。
■三船敏郎の老人演技は部分的に滑稽なところもあるが、前半の太り気味の精力的なふるまいから終盤の病みやつれた部分の変化がちゃんと表現できており、見ごたえがある。『蜘蛛巣城』などと比べると明らかにこっちの方が良い。志村喬は完全に『ゴジラ』の山根博士を継承しており、狂言回しとしても中途半端な役柄なので、難しいところだが、この映画を最後として、黒澤映画における特権的な位置を後進に譲ることになる。以前に観たときも感心したが、ラストの精神病院のスロープの場面は凄い。原爆の恐ろしさを下衆の極みといった上田吉二郎に語らせる場面の上手さも唸ったな。妾に産ませた赤子を守るように抱いてその話を聞きながら三船敏郎が恐怖する場面のよくできていること。ヒロシマもナガサキも固有名詞としては登場せず、原爆の惨禍も直接は見せずに、こうした日常の会話のなかで、三船老人の不安と恐怖を代弁させる。作劇の上手さに改めて感心した。