新藤兼人が今日も封建主義に突撃する奇怪なメロドラマ『流離の岸』

基本情報

流離の岸 ★★☆
1956 スタンダードサイズ 101分 @アマプラ
製作:山田典吾、絲屋寿雄 原作:大田洋子 脚本:新藤兼人 撮影:伊藤武夫 照明:安藤真之助 美術:丸茂孝 音楽:伊福部昭 監督:新藤兼人

感想

■女子校の同級生の聖子(明石淳子)が兄貴を紹介してくれるっていうから医師の竜吉(三國連太郎)に逢ってみたらお互いにビビッときたけど、なんだか思わせぶりなことを言うから気にはなっていたら、結婚してからそんなこと言い出すあんたは人間のクズか!お前ら家族はとんだ腹黒一族なのか!?

■という変なお話なんですよね、実際。原爆スラムを描いた『夕凪の街と人と』で有名な女流小説家の私小説を映画化したものだけど、実に何が言いたいのかはっきりしない映画で、新藤兼人の脚本なのにいまいち要領を得ない。お話の本筋が見えてくるのが遅すぎるからだ。2/3くらいまで、一体何の話なのか判然としない。

■ヒロイン千穂(北原三枝)の母親(乙羽信子)は最初の夫に女ができたので里に逃げ帰った過去がある。ネタバレを避けるために曖昧な言い方になるが、終盤にもうひとり同じような境遇の女が登場し、ヒロインは自分の愛を貫くことが母と同じような境遇の母子を生み出すことを悔いて、男との愛を思い切ろうとする。その構図は確かに分からないではないが、かなり作為的で素直に納得できない。新藤兼人の筆なのにだ。

新藤兼人のテーマとしては封建主義の家制度の中で馴致される女の抑圧を描きたい思いがあり、そこが乙羽信子に託されるが、若い世代の北原三枝がその桎梏から抜け出す世代対立の話かとおもえば、そうではなく、封建主義は生きているということを告発して終わるだけのお話なので、すっきりしないのだ。

■冒頭に置かれる10年前の場面が重要で、女は聞かれてもいないことを自分からペラペラしゃべるな、女は猫のように静かに歩けと祖母(お馴染み、村瀬幸子の名演!)と躾けられ反発し、末恐ろしい娘じゃと嘆かれる千穂が10年後にどのように新しい世代を切り開いたのかといえば、そんな話じゃなくて、因果物語のように同じような不幸が螺旋状に連鎖する悲劇だったのだ。さらに、祖母の知人でヨレヨレの老婆が掘っ立て小屋に住んでいて、女なのに男に惚れて好きに好き勝手に生きた成れの果てと言い捨てられる。そうしたエピソードが因果ばなしのように積み重なるけど、その構図を突破する人間が描かれない。構図の中に埋没し、人間味が生きていない。

■それは北原三枝田中絹代の『月は上りぬ』でいかに溌剌と役柄を生きていたかということと比べると明白で、困り顔ばかりでは精彩を欠く。相手役の三國連太郎も、腹に一物含んでそうな青年を怪しげに演じるが、その狡さが演技的に彫刻できていない。乙羽信子は確実に好演するし、村瀬幸子も名演の部類だけど、若い二人の主演が冴えなくては厳しい。それに、あえてワケアリの兄貴を親友に押しつける聖子という娘の心理のほうが気になって仕方ないのは困りもの。もっと整理すればいいのに。

■ちなみに、浜村純とか菅井一郎とか脇役で出てきますが、ほぼセリフもない役柄で特別出演って感じ。金子信雄が没落貴族のような精気のない当主を演じるのが珍しい。

参考

夕凪の街=原爆スラムといえば、これだけの名作がありますよ。
maricozy.hatenablog.jp
maricozy.hatenablog.jp
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北原三枝の魅力爆発といっても過言でない。田中絹代の監督としてのセンスの良さは、やっぱり並ではないようだ。
maricozy.hatenablog.jp

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