高橋幸治と村瀬幸子の地味な名演に泣く『傷だらけの山河』

山本薩夫の『傷だらけの山河』という映画は後の『白い巨塔』につながる重要作だと思うのだが、一般的には忘れられた映画になっている。このたびやっとDVDを入手したので、また観てしまった。でも何度観ても、おもしろいし妙に泣かされる映画なのだ。

■最初に観たのは京都文化博物館の上映だけど、それ以降はVHSだったのでとにかく画質が悪かったし、解像度も低かった。もともとフィルム上映でも意外と映像のルックは冴えなかったのでDVDもあまり期待はしていなかったが、さすがにキレイになっている。解像度は高いし、大映名物のコントラストの高い黒味の強いルックも忠実に再現していると感じた。なにしろ、色の濃い着物などは真っ黒に潰れていたり、コップのビールが真っ黒だったり、相当極端な現像処理を行っているのだが、それでもVHS版よりは階調が広がったと思う。クランクイン前後のゴタゴタから、撮影期間が不十分だったらしく、美術装置も大映らしい黒光りする質感はなくて総じて平板だし、凝った照明効果もない。撮影は小林節雄だけど、増村組のようなグラフィックな構図もない。

■最近原作小説を入手したので比較が可能になったのだが、今回改めて観ると、新藤兼人の初期脚本の後半部分を相当短縮し、さらに妻や妾たちのエピソードを原作通りに戻している。新藤兼人の脚本では本妻も妾もみんなが一斉に有馬勝平(山村聡)に反抗を始めるというテーマになっていて、創作を加えているのだが、山本薩夫が監督を引き受けるに際して、敢えてその創作を排除したようだ。そのため、若尾文子とか村瀬幸子のキャラクターが後退している。でも山本薩夫の脚本改訂の考え方が、原作通りに戻すという方向性であったことが、今回確認できた。

新藤兼人案では有馬勝平の妻 藤子はもともと芯のある生まれの良い美人という設定で、狂った秋彦を庇って夫に決別を告げるという意志的な女性として描かれていたが、山本薩夫はあくまで有馬勝平の犠牲者である弱い母親に終止するという描き方になっている。でも原作ではそのとおりなのだ。新藤兼人の創作した台詞が残って入るが、かなり削っている。新藤兼人の構想では、妻や妾たちは若い世代=自分たちの息子の、有馬勝平の強権的横暴に対する反抗に刺激されて、古いしきたりや倫理の矛盾に気づき、みずからの意志を獲得して自己主張してゆくというドラマが仕組まれているのだが、原作では有馬夫人だけは蚊帳の外という感じなのだ。

■ラストも初期脚本は新藤兼人による改変があるが、映画は原作通りに戻されている。唐突な鉄道事故は原作に書かれていて、鉄道線を高架にしなかったのでこうした事故は今後無数に起きるはずだと締めくくられる。

■でも、村瀬幸子の愚かな母役はなんというか名人芸の領域で、昔はなんだか地味で下手な女優だなあと漠然と感じていたけど、いろんな映画で愚かな母を演じ続けているのを立て続けに見ると、これは名演だと認識を改めた。後半の秋彦(高橋幸治)と村瀬幸子の精神病院の場面は、何度観ても素直に泣かされる名場面だし、山本薩夫、メロドラマは上手いのだと改めて感じ入る。実はここも新藤兼人案を蹴って、ほぼ原作通りの展開に戻しているのだけど。

■われながらこの映画何回観てんだろうと不思議に感じるのだが、いつかきっと、秋彦の狂気が弱き者たちの怨念を糾合して、大資本家有馬勝平の富と地位と名声と傲慢と権力を焼き尽くす日が来るに違いないと思って、この映画を何度も何度も見続けているのだと、いまやっと気がついた。

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