どこが実録?実は残侠ロマン歌謡映画!『「無頼」より 大幹部』

基本情報

「無頼」より 大幹部 ★★★
1968 スコープサイズ 94分 @アマプラ
企画:岩井金男 原作:藤田五郎 脚本:池上金男、久保田圭司 撮影:高村倉太郎 照明:熊谷秀夫 美術:木村威夫 音楽:伊部晴美 監督:舛田利雄 

感想

最終更新 2021/6/7
■日活映画の全く不振な時期に東映ヤクザ映画を身も蓋もなくパクったやくざ映画が量産されます。日活首脳部も二番煎じで良いんだと明言していたので、紛れもない事実です。良くも悪しくもMr.日活映画だった映画担当の江守常務が堀社長によってすでに追放されていて、企画部の士気は低下し、番線は混乱します。そうした時期に、渡哲也の無頼シリーズが始まり、大ヒットを記録して、看板シリーズになります。若手の監督が参加して、日活ニューアクションのトレンドを形成、ロマンポルノ直前の時期に、蝋燭の炎が消える直前に一瞬見せるような閃光を放ちます。そしてこれらの映画は、当時の若者や映画人(特に若いスタッフたち)にかなり大きな影響を与えました。

■シリーズ第一作は、人斬り五郎の悲惨な生い立ちから始まる大ロマンで、原作は一応実録らしいけど、映画のアレンジはメロドラマ的なやくざ映画で、クライマックスの青江三奈の「上海帰りのリル」の堂々の歌唱もあり、歌謡映画にもなってしまった、かなり変なバランスの映画。そもそも昭和30年頃と字幕を出しながら、ロケ風景は完全に撮影当時の昭和40年代の光景だし、美術装置もあまり時代感を意識していない。

■すでに東映では実録ヤクザ映画を量産しており、「仁義なき戦い」を俟つまでもなく実録映画の作法はすでに確立されていた。それに比べると、本作は全く実録風味ではなく、やくざをダークヒーローとして扱ったやくざロマン映画である。そのことは特にヒロイン松原智恵子の扱いに顕著であり、どこかの田舎から家出してきた娘で渡哲也に純情を捧げる。しかも、当然肉体関係は無い。でもキスはあるから、そこは日活青春映画からの進化かもしれない。しかし、問題はヒロインが完全に添え物としていかにもお人形さんとして描かれていることだ。対する松尾嘉代はすでにすっかり水商売が板について艶艶している。

■渡哲也の弟分として浜田光夫が準主役クラスで登場するのもこの時期の路線入れ替えを象徴する。浜田光夫はすでに何度かチンピラヤクザを演じているが、完全にその延長で、兄の川地民夫とは、敵対する組どおしに所属し、別れ別れになった貧乏兄弟だ。そして死亡フラグを立てまくって、駅のホームで刺殺される。1966年の失明寸前の大怪我からの復帰後だけど、そんな気配を見せない軽快な演技はまだまだ健在だ。

松原智恵子に加えて、北林早苗と三条泰子が結構大きな役で助演するのだが、、、あまりに地味すぎるなあ。やくざ映画のサブヒロインに日活のスター女優は出せないという判断だろうが、いやあ地味、地味。おまけに渡哲也の元カノ、三条泰子の変な髪型なあ。。。それにあの堂々とした団地風景なあ、日本住宅公団ができたのが1955年、大阪堺に第一号の公団住宅ができたのが1956年なので、まだ東京には公団団地もできていなかったのでは?昭和40年代の普通の団地風景にしか見えないわけで、昭和30年頃と謳う必要があったのか?

舛田利雄の演出もいわゆる実録映画的な組織や人間関係の酷薄さを狙ってはおらず、リアリズム演出でもないから、従来どおりの任侠ロマンの枠組みから出ていない。すでに東映では佐藤純弥深作欣二が社会派現代劇としてのヤクザ映画を開拓していたことに比べると、そこまで攻めるつもりはなく、高倉健任侠映画をもう少し現代的にしたくらいの保守的なイメージだろうか。でも、若々しい渡哲也の軽みを生かした人斬り五郎のヒーロー像はさすがに魅力的なので、にやにやと観ちゃうわけだけど。

■(補足)そもそも舛田&渡コンビの前作『紅の流れ星』が作品的には好評だったのに、興行的には失敗し、なんとか渡哲也をスターにしてくれと言われた舛田利雄「それじゃあ所長さん、あんたのお好きな大浪花節を作ってさしあげますよ」といって引き受けた企画なので、そもそも実録テイストも社会批評的なテーマ性も狙ってはいなかったという経緯らしい。舛田利雄は狙った通りの大時代な映画を仕上げて見せたわけだ。そして、渡哲也はシリーズ化されたこの映画で不動の映画スターに成長したのだ。
www.nikkatsu.com

© 1998-2024 まり☆こうじ