若様の足音が聞こえる…実は立派な傾向映画!『絶唱』

基本情報

絶唱 ★★★
1966 スコープサイズ 98分 @アマゾンプライム
企画:笹井英男 原作:大江賢治 構成:八住利雄 脚本:西河克己 撮影:高村倉太郎 照明:河野愛三 美術:佐谷晃能 音楽:池田正義 監督:西河克己

感想

■実は日活は1958年に小林旭浅丘ルリ子のコンビで同じ映画を公開しており、本作はそのリメイクにあたる。構成が前作で脚本を書いていた八住利雄ということは、前作の脚本を下敷きにして監督が改稿した可能性がある。公開時期は決まっているが企画決定に時間がかかり、苦し紛れのリメイク方針が決定したため、脚本開発の時間がとれなかった、といった舞台裏が想像されるところだが、真相はいかに。

■それに、配役についてもかなり紆余曲折があったらしく、当時のキネ旬に発表された配役では、滝沢修石立鉄男の名があるが、実際は志村喬や山田勝が演じている。それに、初井言榮の演じた役は当初奈良岡朋子が演じる予定で、初井言榮は別の役が予定されていたのだ。民藝グループは公演の都合で参加できなくなったのかもしれないが、石立鉄男俳優座だしなあ。何があったのだろう。撮影開始が当初の予定よりも遅れたために、舞台の公演予定とバッティングしたという風なありがち話かもしれないなあ。

■さて、戦中の山陰の山間部で大地主の息子が山番の娘を嫁にしたいと言い出したことから勘当され、男は京大を退学して娘と松江で暮らし始めるが、やがて召集令状が届き、男は出征、娘は肉体を酷使する過酷な労働に取り組むが。。。というお話。

志村喬演じる山園田の当主がいみじくも言うように、息子は大学で「思想」を学んでかぶれてしまったのだ。

惣兵衛「順吉、どうやらお前には一番悪いものが取り付いたらしいな」
順吉「なんですって?」
惣兵衛「思想じゃ。思想。こいつばかりは金がものを言わんでな」
※映画より再録

息子の反抗は単なる色恋沙汰ではなく、封建主義に対する思想的な反抗であることを見抜いている。そして、この映画のテーマもそこにある。でも、彼の目指した封建制の解体は、彼の努力でなったことではなく、日本の敗戦と占領政策によって棚ぼた式に手に入れた成果なのだ。彼は当時のインテリの典型例としてとことん無力であり、それは戦後日本そのものの姿なのだ。封建制は敗戦という血の代償によって潰えた。でも、山の娘の象徴する何ものかもまた敗戦によって消え去ったのだ。

和泉雅子は難しい役柄を誠実に演じるが、たとえば『若草物語』での等身大の役柄を演じる生々しさや溌剌さに比べると、いかにも作り事めいて感じられ、あまり役得がない気がする。なにしろ映画は若様と娘が出来上がったところから始まるので、山の中で育った自然児としての娘のメンタリティが全く描かれないから、若様の足音を敏感に感じ取る場面も超能力にしか見えない。でも、ああいった超人的と思える感覚の鋭敏さこそ、サンカとも俗称される「山の民」の特長ではなかっただろうか。娘の親夫婦が彼の地に定住するまでの、漂泊する「山の民」であった経緯が隠されているのではないか。

■だから、山番の娘が若様をたらしこんだに違いないという村人の評判は、一種のヴァンプ、妖婦として人口に膾炙したサンカの娘の性的イメージを下敷きにしているだろう。彼らの恋愛は単なる身分の差というだけでなく、身分差のさらに埒外にまで拡大された身分差、差別/被差別の構図を射程に入れている。娘には被差別民としての「山の民」がイメージされていて、単なる身分違いの恋物語ではなく、差別/被差別にまつわる物語のはずだが、そこに脚本は直接触れようとはしない。本作は日活本体の製作だが、大塚和による民藝ラインで製作されれば、多分その隠し味はもう少し表面化してきたことだろう。

■第三幕は泣きどおしなのでさすがに苦しいが、山園田の当主が急逝して、これで何の遠慮もなく病床の娘を看病に行けると初井言榮が堰を切ったように心情を吐露する場面など、さすがに泣かせる。

■昭和41年度芸術祭参加の文芸映画でもあり、撮影はベテランの高村倉太郎だけど、『明日は咲こう花咲こう』の姫田真佐久などを観てしまうと、随分平凡な構図だし、平板にも感じてしまうのは、大きな声では言えないけど、事実だ。
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