感想
■日本映画史には「潮騒映画」というジャンルがあってだね、と語りたくなるほどの日本映画界の定番。忠臣蔵には負けるけど、それでも異様な人気を誇るのは一種の性徴映画だからでしょうか。
■まずこのお話のいちばん重要なポイントは時代設定ですが、これはロケの都合と絡んで限定されてくる。本作は百恵、友和の扮装、髪型からそれほど昔のお話にはできない。さらに困るのが、神の存在がそれなりに実感されていた神秘的な島の雰囲気がロケでは出せないという点。本作も岸壁はすっかり護岸工事された綺麗な港になってしまっており、自然の猛威と折り合いをつかながら神の存在の実感とともに暮らす土俗的な島の雰囲気や精神性は皆無だ。その点は1954年に撮影した谷口千吉の『潮騒』がなんといっても絶品なので、後続の作品には真似できない。
■それでも小百合版『潮騒』の焦点の定まらない不甲斐なさには陥っておらず、さすがに須崎勝弥の脚本はバランスが良い。原作の小説の文章の使い方も無理がなく、特にラストの百恵・友和の船出に原作の文章をナレーションでかぶせた部分はよく効いている。有島一郎の灯台長が、自分の娘が発端となった噂話についてそうと知らずに、「島に対する冒涜だ」と規定するあたりも、テーマをわかりやすくしている。
■お馴染みの乳比べの場面も当然あるし、それを言い出すベテラン海女が丹下キヨ子というのも、なかなか趣深い。切れやすいシンジのお母親が初井言榮で、期待通りに怒鳴り込んでくれるから楽しいよね。西河克己らしい話術の面白みは少ないが、ちゃんとウェルメイドな映画になっている。
■ただ、最も残念なのは日の出丸の海難シーンで、特撮場面がないこと。谷口版『潮騒』は実質的に『ゴジラ』と二個一で、円谷特撮だし、森永版『潮騒』でも金田啓治が意外にも上出来なミニチュアワークを見せてくれるのに、本作は全くなし。実際のところ、実写で使った船がどう見てもミニチュア製作が高く付きそうな複雑な外観なので、あっさり断念したのではないか。せっかく東宝の配給なので、東宝映像で川北紘一に大プールで撮ってもらえばいいのに。画竜点睛を欠くとはこのことだ。