■以前にDVDで観ているけど、さすがにデジタルリマスターの威力は凄くて、原爆炸裂直後のヒロシマの生き地獄が克明に再現され、実に生々しい。ミニチュア特撮の精度の問題もまた露呈してしまうが、完全に独立プロのスタッフによって構築された特撮シーンは日本特撮映画史においても貴重である。ミニチュア撮影の規模感や合成カットの精度まで確認できるから特撮愛好者としては、ありがたい。
■そもそも松竹が配給予定だったが、試写を観て3か所をカットしないと配給できないと言い出したというあたりはいろいろと疑問が残る。当然脚本を読んで配給を決定しているはずだし、日教組が製作なので当然バリバリの左翼思想に基づいていることも承知のはず。そもそも伊藤武郎以下の製作スタッフは邦画メジャーをレッドパージで追われた人々だしね。
■なので白色人種の有色人種への差別意識が日本人を原爆のモルモットにしたという実も蓋もない主張をドイツ人の学生が書いた手記の中から読み上げるというストレートな描写なども脚本にあったはずなのだ。松竹所属の月丘夢路の出演を許したことからも松竹が配給に一定の本気を持っていたことも確かだろうが、その先をどこまで真剣に考えていたのか微妙だ。当時、東映が『きけ、わだつみの声』や『ひめゆりの塔』を大ヒットさせていたことを踏まえて、松竹でも同様の番組が欲しいなあくらいの認識だったのかも。あるいは作らせておいて、最終的に困るシーンは圧力かけてカットさせればいいやくらいの認識だったのか。『白痴』で黒澤明にも通用したあの手があるから大丈夫という認識!
■改めて再見すると、やはり構成が妙で、この映画は長田新の『原爆の子』を原作としているから、物語は二人の高校生のヒロシマでの体験を中心としているのだが、女子高生の大庭みち子さんの回想として原爆投下直前の時制に移行したのに、メインのお話がいつの間にか遠藤幸夫君にシフトして、大庭みち子さんの原爆病での死は終盤に唐突に挿入されるだけという歪さ。
■お話は結局家族を皆なくした遠藤君が戦後ぐれるが立ち直り、工場勤めを始めるものの、朝鮮戦争の影響でその工場が砲弾の製造を始めるという風に逸れてゆき、ヒロシマの惨禍から戦後の「逆コース」への批判として幕を閉じる。それなら最初から遠藤君を中心としたお話に仕立てれば自然に観られるのだが、岡田英次演じる高校の教室から語り起して、広島出身ではない岡田に原爆症とは何かを語らせたり、反米姿勢を打ち出したりしたのちに、やっと本筋の『原爆の子』のお話が始まるのだ。ああ、回りくどい。
■脚本では、ラストシーンは岡田英次らが「明日は僕らの手で」(どんな歌だろう)という歌を合唱しながら行進する場面だったらしいが、完成版は伊福部昭の楽曲が使われ、歌は流れず、岡田らは口をパクパクしている。
■かようにいろいろと齟齬は感じる映画なんだけど、おかあさん、おかあさんと呼びながら息絶えてゆくこどもたちの姿、君が代を歌いながら力尽きて川に流れてゆく女学生たち(階段場面のモブシーンは黒澤明並みの演出)、探し回ったすえ死んでいた子を背負って帰る父親の姿(同級生の子役の受けの芝居が凄い)とか、家族持ちとしてはいろいろと堪らん気持ちになりますよ。
参考
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同じ原作の『原爆の子』を映画化した新藤兼人の意欲作。スペクタクルをあえて避けたこちらの方がオーソドックスなアプローチといえるでしょう。製作規模も違いますからね。
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戦後17年にして既にヒロシマの記憶は風化しつつあったことをドキュメンタルに記録した劇映画。これも忘れられた映画ですが、見どころが多々あります。コテコテの風俗メロドラマですが、捨てがたい味があります。
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これも今やほぼ忘れ去られている今井正による公開当時は「名画」ですが、今なお必見です。貧困メロドラマに勘違いしてしまいそうですが、ヒロシマでの被爆のその後を丁寧に描いて、難病メロドラマでもなく、若者の心身を蝕む被爆の恐怖をリアルに時にリリカルに描く離れ業。
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松竹としてはこうした映画の意外な興行力に魅せられたのではないか。監督も同じだし。
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これも当時大ヒット。松竹はこれも意識していたはず。今観ても胸に突き刺さる今井正の傑作。映画としての完成度は『ひろしま』よりもこちらが確実に高いので、騙されたと思って見て。リメイク作も多いけど、全くレベルが違います。
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