純愛物語
1957 スコープサイズ 133分
DVD
原作・脚本■水木洋子
撮影■中尾駿一郎 照明■元持秀雄
美術■進藤誠吾 音楽■大木正夫
監督■今井正
■今井正の有名な映画だけど、なんとなく清く正しく美しい青春映画だろうという先入観があって敬遠していた。というか、なかなか見る機会も無かったのだが、やっと観ることができた。そして、先入観を完全に打ち砕かれた。これは今日広く観られるべき映画。現代にこそ蘇るべき映画である。
■水木洋子が『春の落葉』という仮題で準備していた原爆の後遺症を扱った物語のタイトルを変更したもので、この後もテレビやラジオに再三リメイクされているらしい。確かに典型的な難病メロドラマなのだが、子供の頃、一度被災直後の広島を訪れたことから再生不良性貧血で衰弱してゆく天涯孤独な少女の物語を、昭和30年の上野付近の貧民や不良たちの社会を舞台として描くところにユニークさがある。それは、原爆症の話など興行的に難しいので、東映の観客層を意識して設定したという意味合いもあるだろうが、無宿の不良の最下層民も、裕福そうな勤労者も等しく原爆の放射線に侵されて体を蝕まれてゆくことを描きたかったためでもあるだろう。
■中盤の原爆科での集団検診の場面は、まるで本多猪四郎の映画のような画調と演出で、淡々とした演出のなかで恐怖感がずっしりと心にのしかかる名場面。そして、ここで登場する”裕福そうな”三人家族のうち、原爆症の疑いが濃厚な夫を除く母子がラストに何気なく登場するという演出には背筋がぞっとする。この設定は、きちんと脚本に書かれたものなのか不明だし、或いは別の単なる通りすがりの無関係な別人なのかもしれないのだが、これはあの夫が既に原爆症を発病して入院したか、あるいは既に亡くなっているのか、どちらにしろ裕福そうに見える母子にも放射線がもたらす死の影が侵食していることをさりげなく示し、最下層の貧民カップルを破壊した放射線被爆の恐怖が同時進行的に社会の各所を侵していることを暗示しているに違いないのだ。
■そして、江原真二郎が中原早苗の臨終に間に合わず、抜け殻のベッドを前に立ち尽くす悲痛なシーンは、大木正夫の不気味な旋律のせいもあり、黒沢清の『回路』を想起させる。人の死と、人が画面から消えることに関する思索は、なんと今井正の映画に接続していたのだ。(ホントか?)