■ブルーレイで観なおしてみた。何度も観ていると、なかなか面白い映画じゃないか。怪獣映画は怪獣が出てくるまでが面白いという法則をこの監督はちゃんとわかってやっている。しかも、人間はいつも間に合わないというテーマで筋を通している。ジュリエット・ビノシュが言い残す言葉の「間に合わなかった」というのがこの映画のテーマで、監督の哲学である。
■人間の営為は原発の崩壊を防げなかったし、常に怪獣たちの後姿を追うばかりで、常に怪獣の破壊した痕跡ばかりを提示する。自然の営み、自然そのものの変化に人間は常に受身であり、そのスピードに追いつけない。そのスピードに追随できるのは、”生態系の頂点”であるゴジラだけなのだ。
■そのことを強調するために、渡辺謙は異様なほど役立たずだ。ゴジラ研究のモナーク計画のメンバーでありながら、もっぱらMUTOのお守りに明け暮れ、かと思えばハワイへのゴジラ接近を”直感的に”感知するという捉えどころの無い人物造形で、結局のところは怪獣きちがい、怪獣博士という役どころなのだ。後追いの説明はできるが、何の役にも立たないという、追いつけない人間の象徴。米軍もここでは無力で、名優のデヴィッド・ストラザーンを指揮官に据えながら、怪獣たちを追撃するのが関の山で、超兵器すら持ち合わせていない。
■しかし、そうした視点は、ギャレス・エドワーズのオリジナリティであると同時に、東宝怪獣映画の冷静な分析によるものだし、東宝怪獣映画のエッセンスともいえる。ギャレスの見立ては決して筋違いではないのだ。
■とかなんとか言いながら、原発崩壊、MUTO復活、ホノルル決戦に到る前半の流れは上出来で、大怪獣映画の楽しみに満ちている。