運命や、運命かもしれんな、それが... 現代京都の”罪と罰”を描いた小さな奇跡!怪奇大作戦「呪の壺」「京都買います」

■なんとなく、京都を舞台とした現代劇を見たいなと思い、書棚の奥から引っ張り出してきました。「怪奇大作戦」の実相寺回です。馴染みやすい流麗なメロドラマ「京都買います」が観光都市京都を描いたA面で、昏い怨念が支配する「呪の壺」が魔都京都を描いたB面という感じですね。

京都映画と円谷プロのコラボだよ!

■両作ともに京都ロケの現場作業は京都映画に下請けされていて、なんと10日ほどで撮影された。和室のセットも京都映画おなじみの空間になっているけど、必殺!と違うのは、撮影の違いでしょうね。京都映画のスタッフはアイディアを出す現場が好きらしいので、実相寺の演出は歓迎だったのではないでしょうか。おもろいことやりよるなあ。テレビで直角移動なんて、普通やらないからね。

奇跡的に生まれ落ちた、名作

■「京都買います」はすべてが奇跡的な偶然によって生まれ落ちた、空前絶後の映像詩だと再認識した。もちろん岸田森の一世一代の傑作だけど、久々に見ると、斎藤チヤ子が非常に良いし、よく撮れている。稲垣涌三のキャメラも絶品で、本来なら撮影賞ものだ。冬枯れの京都の街の捉え方が絶品で、空を覆う薄雲すら、合成作画かと思うほどに絵画的。それになにより、役者の生々しさをドキュメンタルに捉えたカットが素晴らしい。宮川一夫では撮れないし、姫田真佐久なら、ひょっとして可能だったかもしれないけど、実相寺のドアップが破綻も歪みもせず、リアルな空気感と心理描写を伝える。吐く息のリアルな白さは、後付のCG合成では感じられない生々しさで、心まで凍てつくようだ。

そこに斎藤チヤ子を置いてみた

■斎藤チヤ子て、新東宝で女優デビューしたけど、ウェスタン歌手に転向して人らしく、ちょっと中性的な感じだったので、そこが実相寺の琴線に触れたのだろう。こんなにニュアンス演技が上手い人だったのかと感嘆した。映画では日活で青春映画に脇役で出ていたけど、『君が青春のとき』では流しの歌手役で、ちょっと影のある大人な女で、変な色気を感じさせるユニークな人。本作では、鼻から唇、顎にかけての滑らかな曲線が、まさに仏像のような綺麗なエッジを形成していることが、意想外の効果をあげていると思う。実相寺の偏執するドアップの画角が見事にハマっている。そこまで細部を穿って配役したわけではないだろうに、意図せずに効果を生んでいる。すべてが映画の神の導きなのだ。
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その名は、京都ゼロ番地!

■「京都買います」で改めて驚いたのが、エンディングでゼロ番地を捉えているところで、なにげない川辺のバラックという風情だけど、あれはトンク(東九条)のゼロ番地だろう。あえてそこを狙ったのは、実相寺の「要するにみにくい京都を数カット撮ってタイトルバックにする」という意図だけど、具体的にそこを撮ったのは、京都映画側の仕事ではないか。本当なら、観光地化されて侵食される光景や、学生運動に荒れる情景や派手な看板などのモンタージュを対置するところだけど、観光地の京都とは異なる裏の顔、もう一つの姿として、描いたように見える。その意図を伝えて、京都スタッフにロケ地をチョイスさせたのではないか。そんなところも含めて、ホントに奇跡的なドラマだと思う。
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ソルの「魔笛の主題による変奏曲」はどこから来たか?

■ちなみに、ソルの「魔笛の主題による変奏曲」を使ったのは、1963年の松竹映画『古都』の予告編で使用されていた印象が残っていたのではないか。成島東一郎を超える京都を撮ってやるで!という意志すら感じるし、実際超えてしまったのだと思う。

仏像を動かした!男たち

■「京都買います」の仏像消失カットでは、池谷仙克のアイディアを加味してかなり凝った消え方の合成処理が行われたけど、当然ながら仏像が消えたあとの台座の背景カットを撮影している。

■ひょっとして作画で背景を補っているかと思ったけど、実写だ。つまり、仏像をどかして、その背景を撮影している。え? そんなことできるの? 今もできるの? 京都映画だから? 意外と、すごい撮影だった模様なのだ。国宝とかじゃないから、大丈夫なの?

「呪の壺」の京都言葉は、ええあんばい

■「京都買います」では斎藤チヤ子は標準語を話し、外からやってきて京都に惹かれて居着いた女という設定らしいけど、「呪の壺」は京都の土着の人間を、リアルな(たぶん)京ことばで描く。京ことばといえば、おもに花街や旦那衆などの、京都でも特殊な世界独特の言い回しが珍重されるけど、あれは極めてマイノリティの世界で、特に洛外に住む大多数の一般庶民にとっては、大阪言葉とあまり変わらない砕けた関西弁を使っていたふしがある。中島貞夫の『893愚連隊』なんて、大阪弁とほとんど変わらない。やくざっぽいチンピラたちは大阪弁になるものらしい。

石堂淑朗は『非行少女』では石川県の方言を盟友の佐々木守の方言指導で書いているけど、本作とか『無常』では京都言葉を生かしたドラマ世界を展開した。偽物の壺を掴ませて、金持ち連中を皆殺しにしようと企む、肺病やみの青年という、難役を花の本寿がなんだか妙にリアルに演じるけど、本来日本舞踊の人で、踊りのことで頭がいっぱいなので、当時の役者としての活動は完全に余技だったらしい。これも、まことに配役の妙。

■京都洛中の金持ちの上流階級の世界と、その搾取を受け続ける、洛外の人間との対比が主題。まあ、社会派という構図でもあるけど、石堂淑朗は社会問題としてではなく、もっと屈折した昏い心理面に着目する。大島渚浦山桐郎実相寺昭雄と組んで代表作を生み出した石堂淑朗という人もよくわからない脚本家だけど、実相寺と組んだ後の映画よりも、本作のほうができが良いと思う。『哥』はちょっと良いけど、『無常』とかさっぱりだったなあ。(かすかな記憶)

参考

京都の”現代”を描いた映画は、意外に多くない。京都で撮る時代劇だって、ほとんどは江戸が舞台だ。むしろテレビドラマが多い気がする。

東ちづるがゼロ番地で大暴れ!ホントに現地でロケしました。空前絶後の荒業。
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京都に第三の原爆が落とされていれば、日本の戦後は大きく違っていただろう。
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京都を舞台とした現代劇として、非常に重要作。
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京都のチンピラも大阪のチンピラも、言葉遣いはほぼ同じだったらしい。
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一応現代劇。だよね。
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こんな迷作もありました。『愛欲』
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大映京都が現代劇で京都を撮った珍しい作品だけど、まるで時代劇にみえますね。
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名作『女の園』がありました。でも、京都ぽくはない。
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意外にも万城目学は京都言葉を使いません。ぜんぶ標準語。でも、出てくる人間がほぼオタクなので、違和感がない。
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