■『小狐たち』でも、末妹レジーナの悪巧みに対して長兄ベンが、禍福は糾える縄の如し、いずれ夫殺しの証拠を掴むさ(という趣旨のこと)と言い置いて一旦は引き上げるのだけど、長兄ベンが、実はどれくらい頭の働く、悪い意味で才覚のある男だったかをリリアン・ヘルマンは描きたかったようだ。
■父親とレジーナはどうも近親相姦的な関係があることを匂わせたりするところが凶悪だけど、長兄ベンは、レジーナが結婚したがっているけど戦争に憑かれてその気のない元軍人との間を裂き、下品な娼婦と結婚したがる愚かな次兄オスカーの願いを潰し、父親の過去の醜悪で致命的なスキャンダルを掴んで、父親をぎゅうぎゅうと脅しあげると、全財産を脅し取る。その悪巧みのあっぱれさに、しっかりとしたピカレスクなカタルシスがある。やっぱり、有吉佐和子とか、山崎豊子を思い出すなあ。
■『小狐たち』ではレジーナと娘の女系の世代対立を描いたが、本作では旧世代の女たちの愚かさも丹念に描き出す。でもそれは性格的な弱さとか、精神的な弱さによるものであって、その時代の女性一般の姿として描かれたわけではなく、かなりの特異ケースになっている。だからこそ、逆に男たちがしたい放題になったという描き方だ。だから、本作では男たちがいかにしてあらゆるものを搾取していったかが主眼に見える。南北戦争前後に悪巧みを駆使して立ち回り、黒人搾取で成り立つ伝統的な南部貴族から財産を吸い上げていった戦後派成金ギデンズ家の罰当たりな系譜。それを本作では男系の世代交代劇として描く。ここに、搾取された犠牲者たちの亡霊とかが絡むと、南部ゴシックになるけど、そうはならないよ。(残念ながら)
■まさに、山本薩夫なんかが好きそうな、というか映画化すれば絶対面白いに違いない作劇なので、だれか日本に翻案すればいいのに、なぜか手つかずだなあ。