(HOLLOW MAN)
感想(旧HPより転載)
米軍の委託を受けて行われた人体透明化実験に成功した若き野心家の科学者が、可視化に失敗し透明人間としての生活を余儀なくされるうちに、身体のみならず良心までも見失ってゆく。
ハリウッドきっての変態監督ポール・バーホーベンの最新作だが、端的に言って、今回の作品には”企み”がなさすぎたようだ。「ロボコップ」や「スターシップ・トゥルーパーズ」等で見せたハリウッド製SFアクション映画に対する歪な反抗心や批評精神がこの映画では全く影を潜めているのだ。
その原因はどうみても「エンド・オブ・デイズ」や「エアフォース・ワン」等の底抜け脚本で名高いのアンドリュー・マーロウの頭の悪さにあることは明白で、これほど凡庸な脚本家に仕事を与え続けるハリウッドの首脳陣の鑑識眼の低さは一体どうしたことか?この男ほどオリジナリティのないアイディアの羅列に終始して、何も考えていない脚本家というのも珍しいと思うのだが。
確かに血管のネットワークや内蔵や筋肉が生々しく脈打つ透明化や可視化のグロテスクながらも荘厳なプロセスをスペクタクルに見せるシーンやエレベーターシャフトの中での垂直軸のアクションを自在なキャメラワークとVFXで描破した力技の演出力はバーホーベンがその歪んだ感性を内に秘めたままハリウッドという表舞台でいまなお健在であるために必要とされる要件を満たしてお釣りが来るくらいの代物だが、何も奇策が見あたらないのであれば、目に見えないものを映画として映し出すという不可能事に対してジェームス・ホエール監督が「透明人間」のラストシーンで示した解答を誠実に引用することくらいはしておくべきだったのではないだろうか?
それとも透明化の悲劇を生きた科学者を何らかの象徴としてではなく、下司な欲望以外は何もない”空洞”そのものとして捉えることが、ジェームス・ホエールに対するバーホーベンなりの彼らしい返歌ではあったのかもしれないが、そうすることが映画に清新な息吹を吹き込むことに繋がるのかどうかということを検討すべきだったのだろう。
(2000/10/14 ビスタサイズ 京極東宝1)