『文化と闘争 東宝争議1946−1948』

■約500頁からなる専門書だが、日映演の文書や東宝の議事録等の一次資料から東宝争議について労働運動史的な観点から具体的に詳述される。第三次争議の「来なかったのは軍艦だけ」というGHQの過剰牽制行動が有名だが、そうしたスペクタクルな面白さを狙った著作では、全く無い。あくまで、日映演が何をどう考え、東宝本社経営陣がどう対応したか、ということに興味を絞って、ある意味実務的な内容となっている。企業の労務対策担当者なら、今でも十分役に立つのではないか。

■この本で強烈なのは小林一三の反共思想の徹底ぶり。もともと東宝の社長大沢善夫はアメリカで労働運動の何たるかを見聞してきた近代合理主義的な経営者で、おかげで共産党員もたくさん抱えることになったのだが、小林一三はそれが気に入らない。撮影所を牛耳る共産党細胞を一掃するため、映画にも興味が無く、経営の経験も無い学者たちを経営陣に据えて、首切り策を強行する。東宝争議は共産党員20人が自主的に退職して決着したが、1950年にレッド・パージが行われて、結局残っていた共産党員は馘首されてしまうのだ。その後、東宝は組合活動の活発化を恐れて、縁故採用主義に戻り、採用予定者には身辺調査を行っていたという。

東宝という会社はもともとが興行会社であって、東宝映画にはPCLとかJOといった活動屋が統合されていたから映画が作りたくて仕方ない人たちが集まっていたが、東宝本社としては、映画製作は水物なので、堅実な興行だけに専念して確実に儲けていきたいという哲学が創設当初からの本音であったので、ことあるごとに撮影所切り離しを画策してきた。東宝争議の際にもその動きが起こるし、1970年には念願の製作分離を果たしている。

東宝撮影所の組合が広く支持されたのは、外国映画の攻勢から日本文化を守れという世論の後押しがあったから。そうした意識は今日の日本映画界ではすっかり失われてしまっただろう。太平洋戦争の終戦直後の清新な理想主義の発露であって、懐かしくも羨ましい。

東宝争議の主役の一人、伊藤武郎はその後独立映画界で活躍することになるのだが、この人の評伝のようなものが出版されなかったのは本当に残念なことだ。日本の戦後映画史の超重要人物なのだ。いっぽうの宮島義勇は『天皇と呼ばれた男』という、本書よりもさらに大部の本が出ているので、これは必読なのだ。

参考

本書の探究手法の影響下で、東映動画の歴史について検証したのが以下の労作。

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