すべてが狂ってる!油断ならないバロック風青春ドラマの怪作『エデンの海』

基本情報

エデンの海 ★★★
1963 スコープサイズ 98分 @アマプラ
企画:山本武 原作:若杉慧 脚本:馬場当 撮影:萩原憲治 照明:森年男 美術:佐谷晃能 音楽:池田正義 監督:西河克己

感想

■瀬戸内の女子校に赴任してきた新任教師が、クラスの問題児に翻弄されながらも、彼女の秘密を守って信頼を得たことから、かえって周囲の疑惑を招くことになる。。。

■という石坂洋次郎の『若い人』にも似たお話で、原作は戦後すぐに出版されたようなので、どの程度原作通りなのかも知らないが、明らかに古臭い。この映画の公開当時の若者たちの感覚から言っても、十分に古臭かったはずだ。今見ると、すべての規範がトチ狂っていて、何一つまっとうなエピソードがないようみ見える。ポリティカル・コレクトネスから言えば、全てが完璧に落第点だ。というか、ポリティカル・コレクトネスに対する反倫理的な挑戦状に見える。

■でも、昭和38年の日本では、まだこの程度の野蛮な認識しかなかったということを証明する歴史的資料かもしれない。まあ、それにしても、木下恵介が傑作『女の園』を昭和29年に撮り、松竹ヌーベルバーグも通過している昭和38年ですからね、あまりにも時代錯誤だったと想像しますよ。

西河克己という人は、日活青春映画の旗手と認識されていますが、なんのなんの、なかなか癖の強い御仁で、松竹映画出身なのに、妙に儚くエグい夢を描きたがる捻くれた人。一見、青春歌謡映画なのに、その中に妙に因業なエピソードやゴシックな趣向を外挿するから、油断がならない。本作も、本来ならもっと乾いた痛快作にもなりえたはずが、妙に残酷でシニカルな映画になっている。それでいて、リアリズムで描くことはしないので、三バカトリオの先輩大学生として小沢昭一を投入したりする。喜劇としては大成功なんだけどね。

■残酷といえば、生きたカエルを股裂きにする場面など正気の沙汰とも思えないが、生々しい肉片を見せるし、いったい何映画を観ていたのかと混乱する。映画におけるカエルちゃんの扱いが悪すぎて、ホントに可愛そうになりますよ。映画にカエルちゃんが登場すると、何故かみんな引き裂いて、生々しい肉片とか内蔵とかを見せたがる映画人の性癖は何なんでしょうね!『蛇娘と白髪魔 』しかりね。映画史におけるカエルちゃんの描き方という研究を誰かにお願いしたいところだ。
maricozy.hatenablog.jp

■なによりも問題なのは、ヒロインの人間像が全く描かれず、教頭によって「一種のカタワ」と表現されるあたりで、原作ではそもそも外地生まれなので、日本的な因習に馴染めない自由奔放な娘ということらしいけど、映画ではそこが雑に教師たちの口から説明されるだけで、『若い人』のヒロインが明らかに境界性人格障害であったリアリティと比べると、人物像の掴み方が不十分で不正確。そこがこの映画の最大の弱点だと思う。

■一方、新任教師の南條は、成績不良で瀬戸内の片田舎に都落ちだと堂々と宣言して、ウケ狙いの自嘲と思わせながら実は自分でも自覚せずに明かした内心の傲慢さが、終盤で強烈なしっぺ返しを食らうことになる。風景も人間も素晴らしいと言い残して去る彼の姿は明らかに敗残者のそれ(負け惜しみ?)である。そこに一切の躊躇はない。

■地方の女子高生なんてちょろいものだし、田舎高校の教師たちの考えることなんて、たかが知れたものという傲慢さが、すべて仇になり、彼は舐めていた田舎町にすら居場所を見つけられずに、尻尾を巻いて東京に帰っていくのだ。人生一寸先は闇。板子一枚下は地獄。それがこの世の摂理だ。若さゆえに世の中を舐めている、あるいは世間知らずの上にあぐらをかいている若さの驕慢、そのことを彼は身を持って知ることになったのだ。その苦い挫折に対しては、結構シニカルに描き切っていて、さすがに意地悪爺さん、西河克己らしいと感じる。だが、彼はまだ若い。まだ何度でもやり直しが効くのだ!(羨ましい!)

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