感想
■いやあ久しぶりの特撮映画ですよ。一応特撮を愛する偏愛ブログのつもりなんですが、最近さっぱり観てませんね。平成ガメラの4Kリマスターも劇場で初公開当時と比較して画質の変化を確認したいのはやまやまですが、まだまだコロナも怖いので自制しております。
■さて。言わずもがなの名作、傑作ですが、ドラマは薄い。藤巻潤も青山良彦も完全に役不足で、それは脚本に各々のドラマが描かれていないせい。藤巻潤も青山良彦も実はできる人なのでもったいない気がするが、でもそうすると2時間近くなりそうなので、この場合仕方ない。
■そのかわり、森田富士郎の本編撮影が傑出していて、いくつもの場面で目をみはる映像設計を見せる。高田美和の顔面にじわじわ寄っていくカットも定番とはいえ、凄い。狼谷の隠れ家付近の滝で髪を梳く場面も、小川のせせらぎからパンして高田美和を捉えながら徐々に移動すると背後に壮麗な滝が見えてくるカットなんて、立体映画なみの奥行きを感じさせ、キャメラマンの自慢げな顔が浮かんでくるキメ画だ。滝の裏の隠れ家に駆け込んだ少年が高田美和を神様と見間違う場面など、大映ならではのスモーキーな照明効果が絶大で、これも森田キャメラマンの自負が伺える。
■ミニチュア美術がすごいのは、縮尺が大きい(1/2.5)ので本編美術スタッフや大道具さん、大工さんたちがそのままミニチュアも制作したためだろう。サイズが小さいだけで、いつも作っている美術装置とほぼ同じ工程と材料で同じ職人が制作できるわけだ。さすがに瓦などは特注だろうが、木材は倉庫にふんだんにあるし、壊れ物なので強度設計はあまり気にしないでいいし、コンクリート建築物ではないので、壊れるポイントも本編セットと基本的には同じだし、時代劇で縮尺が大きいというのは好条件だったに違いない。実際、美術の内藤昭も「大工仕事でできた」と証言している。この方法論は効率的なのでもっとたくさん製作できたはずだが、お話が単純なので飽きられやすかったかもしれないし、多分予算を圧迫したのはどう考えても合成予算だろう。
■そう、なにより凄いのはブルーバック合成の精度で、1985年頃にニュープリントでリバイバル上映された当時も、その頃の新作映画のブルーバック合成よりも上出来だと感じたほど。ハリウッド仕込みの大型のブルースクリーンを大枚はたいて設置したおかげもあるだろうが、かつて太秦にあった東洋現像所の技術的なバックグラウンドが大きく寄与していると推察する。そうとしか考えられない。大映独特の照明技法が功を奏したのか、現像法なのか、特殊なフィルムを使用したのか、オプチカルプリンターの性能なのか、合成作業に時間をかけられたからなのか。でもこのあたりは誰も明らかにしてくれなかった。森田富士郎も故人だし、当時の東洋現像所の技術者もすでに物故されているだろう。ブルーバック合成の精細さは完全にハリウッド映画レベルで、長らく日本映画におけるブルーバック合成の最高峰に位置し続けたことからも、完全にオーバーテクノロジーの領域と感じる。この当時、東洋現像所には何か特別なことが起こっていたに違いないのだ。
■巫女の信夫を演じるのが月宮於登女という謎の女優で、これが東映ありや東宝ならもっと有名なベテラン女優が演じる役柄なのだが、そこは当時の大映の特徴で、美術や技術にはお金をかけるが配役予算は二の次という特殊なポリシーがある。東映なら毛利菊枝とか、浪花千栄子くらいが演じる役どころだが、大映京都は基本的に近所にいる役者を使う。
■そして月宮於登女という人、ひょっとして途中で改名しているのではないかな。かなりのベテラン女優らしいのに、ネットで探してもあまりヒットしない。それどころか東映京都の深田金之助が東映退社後に撮ったピンク映画『血と肉』(1965年)『快楽の罠』(1967年)に出演していたりするけど、ホントかなあ。。。後者には岡島艶子も出ているから、東映京都の大部屋あたりのキャリアがあるのかもしれない。ちなみに岡島艶子は川谷拓三の義理のお母さんですね!