内藤昭、逝去

 大映京都撮影所で、三隅研次の共犯者として撮影所幹部から睨まれ、一方で大魔神を生み出し、雪女郎をデザインした、あの伝説的な美術監督、内藤昭が8日に筋委縮性側索硬化症で逝去していたことが判明。というか、今まで全く知らなかった。
 当館では”大映京都様式”と呼び習わしている黒光りする舞台装置や様式的な襖のデザイン等を独自のセンスで発展させた、大映映画の技術史を語る上で絶対に欠かせない異才だったのだが、「RED SHADOW 赤影」以降活躍の場が無く、同じ大映京都を代表する美術監督、映像京都代表の西岡善信の八面六臂の活躍に比べて、淋しい思いをしていたのだ。筋委縮性側索硬化症という難病のせいで晩年、映画の現場から遠ざかる結果となったのは残念至極だった。
 東陽一が「映画美術の情念」という書籍に内藤昭の凄さを聞き残したのは、映画史に残る偉業であった。でも、内藤昭の凄さは今後改めて発掘されるのだろうと思う。

映画美術の情念

映画美術の情念

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