ぶんぱくの銀幕に降臨した、子ども映画の良心作『サムライの子』(2周目)

■京都ぶんぱくでフィルム上映がありました。何故か1日だけの上映です。まあ、相当にマイナーな映画なので仕方ない。でも、なぜか京都ぶんぱくにプリントが収蔵されているのだ。京都には全く関係ないのに、不思議。それに、結構客席も埋まっていたのだ。

■何しろ大スクリーンでフィルム上映ははじめて観ますが、プリントの状態は良いですよ。白味は純白ではないけど、これがデフォルトらしい。しかし、フィルム上映で観ると、サムライ部落のバラックの室内の汚さがちゃんと再現できているから良いですね。一般的に映画撮影すると、実際は汚いところでも、その汚さは表現されないことが多いけど、そこは民芸映画社スタッフのリアリズムの賜物。貧困の実相をリアルに描出しないと企画意図が生きないからね。それにしても小樽で約1ヶ月粘ってロケした成果は十二分に出ていて、当時の普通の劇映画で20日前後で撮っていたはずだけど、小規模で、ノンスター、大きなセットも組まずに撮るので許されたものだろう。というか、日活の下請けで制作した民芸映画社の裁量でしょうね。大塚和社長の良心的な仕事。

■大スクリーンで観ると、サムライ部落の情景が細部までくっきりと再現され、記録映画的なニュアンスがある。主人公の田中鈴子のアップの背景に、サムライ部落の情景が広がっているというワンカットで、映像によって表現できてしまう説得力。高く評価された『にあんちゃん』の路線を継承するイメージで製作されたけど、スタッフも対抗心があったはずで、今村昌平と姫田真佐久に負けへんで!という気概が感じられる。実際、巨大な窪地にバラックが立ち並ぶサムライ部落の描写には圧倒される。明らかに黒澤映画を意識していると思うけど、監督の若杉光夫は黒澤組の助監督も経験しているから当然だね。それに、黒澤組のセットの建込みを凌駕している。もちろん、当時まだ実際にあった町並みを撮っているからだ。

■『にあんちゃん』より優れているのは、子役の配役の成功で、主役の田中鈴子はちょっと凄い。このあとの経歴が不明だけど、間違いなく天才子役です。二重まぶたのくっきりした綺麗な目元がとにかく映画映えするけど、演技もしっかりしている。おそらく監督がしっかり演技指導したものと思われるけど、見事な主役ぶりで、小沢昭一や南田洋子を喰っている。これは完全に『にあんちゃん』の子ども映画としての弱点を超えている。

■シナリオの作劇としては、原作になかった継母の要素を付加したアレンジが秀逸。主人公と継母のドラマが映画の核となっている。オーソドックスに泣かせる趣向も凝りこんで、あまりめそめそしないのも若杉光夫の演出のいいところ。そこに、サムライよりもさらに悲惨な、戸籍すら無い最下層のノブシの子ミヨシとの交流が加わり、重層的に差別/被差別の構図が描かれる。この映画は2,3回は観ているのに、ちょうどいい塩梅に忘れていたので、後半は新鮮に感動して観ましたよ。各場面の終わりは、基本的に主人公のリアクションの表情で締めくくるという、当たり前の演出と編集が心地よい。ほんの短い表情の変化で、ちゃんと心理描写になっているから感心する。若杉光夫は筋が良いのだ。

■ただ、『にあんちゃん』同様に終盤の展開と回収に弱点があり、小沢昭一と破局した主人公と母は、ミヨシとともに橋の下に移り住むけど、この件があっという間に解決し、ミヨシも親戚のおばさんに引き取られる急展開は、さすがに作為的に感じられる。ミヨシと喧嘩したのに、その次の場面ではバス停でお別れという編集も明らかに奇妙で、おそらくシナリオでは存在した場面がカットされたので、無理やり音楽で繋いだのだろう。シナリオを読みたいところだ。それに、浜田光夫と松尾嘉代が港湾で、結婚すると退職させられるから、理不尽な会社方針と戦おうと語る場面は、本当に今村昌平が書いたのだろうか?あとで若杉光夫が書き足したのではないか?だって、本筋に関係ないもんね。その犠牲で、他の場面が割愛されたのではないか?

■でも、お父ちゃんにこれだけは言っちゃだけだよと婆さん(武智豊子)に釘を差された台詞を父親に投げかける破局の場面とか、正攻法のシナリオ構成は気持ちいいし、小学校の先生(新田昌玄)から、お前は事を性急に運びすぎると注意されるあたりもリアルな説得力があって、さり気なく素敵だ。

■これ本当に子ども映画としては上出来だし、子どもたちの対立と和解のフォーマットなども、この後同様の子どもドラマで、いろんなところで再生産されたのではないか。そのプロトタイプとなったのではないかという気がする。ちなみに、同時上映は牛原陽一の『空の下 遠い夢』という映画で、和田浩治、和泉雅子主演とはいえ、明らかにAクラスではないので、両B面というイメージの番組だったようだ。正月興行のあとの端境期ということだろうけど、こうしたリアルな青春映画とか子ども映画とか、日活映画が果たした役割は、改めて大きいと思う。当時の東宝でも東映でも松竹でも扱えないジャンルだから。

参考

maricozy.hatenablog.jp
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『キューポラのある街』も、浦山は子ども映画だと語っている。子ども映画は、日活の伝統なのだ。『非行少女』だって、ある意味同じカテゴリーなのだ。
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