俺は勉強得意だけど、貧乏だから高校は諦める(泣)『大人と子供のあいの子だい』

基本情報

大人と子供のあいの子だい ★★★
1961 スコープサイズ 70分
企画:大塚和 原作:渡辺照男 脚本:岩田重利、米田彊 撮影:井上莞 照明:鈴木貞雄 美術:岡田戸夢 音楽:林光 監督:若杉光夫

感想

■俺は中学3年生の明夫だ。お察しのとおり家は貧乏だ。高校模試で成績上位をとったものの、工場は潰れるし、姉さんが肺病で入院したり、高校に上がれるはずもない。でも、親友のお父さんが学費を負担してくれるという。都合が良すぎるけど、親友と一緒の高校に行けるなんて、とりあえず俺は嬉しいぜ。。。
浜田光夫主演で、実在の中学生の日記(&詩?)を映画化した日活映画。60年代前半の日活映画はもちろん裕次郎が牽引したのだが、実は地道にリアリズム路線の社会派映画や労働映画の路線があった。そのほとんどは民藝映画社から参加した契約Pの大塚和が企画したものだ。本作は、日活本体ではなく、民藝映画社のスタッフで制作されていて、全体的に教育映画タッチで描かれる。たぶん脚本の作り方だと思うけど、正直、日活の商業映画とは思えないくらいの生真面目さだ。若杉光夫の映画にしても、少々硬すぎる気がする。
宇野重吉演じる親友の父親(会社の重役)の篤志で実家を出て教育費を負担してもらって高校に上がれることになったのに、入院中の姉に報告に行くと、私も胸を患い、お母さんも心臓病を抱えながら働いているのに、なんでお前だけ働かないんだ!と厳しく詰られる場面が、非常にエグくて遣る瀬ない。実際、宇野重吉の申し出で、単純なハッピーエンドを迎えるかと思っていたのだが、終盤で厳しく冷たい現実を再び突きつけられる。
■病気の姉から去っていった恋人の工場に乗り込んで、最後にひと目だけでも逢いに来てほしいという姉の手紙を中庭で大声で読んで聞かせる場面も、なかなか切ないもので、この映画で姉の存在はなかり大きな役割を担っている。もう少し尺があれば、姉の悲痛なエピソードが盛り込まれたことだろう。不実な恋人を演じるのは先日亡くなった梅野泰靖なのだ。
■ラストで昼間の高校を諦めて働くために実家に戻る浜田光夫の姿に、以下のようなクレジットがだぶる(長いな)。多分原作からの抜粋だろうが、実のところ実在した彼のその後の人生がどんなものだったのか、気になってならない。彼は負けずに生きてこられただろうか。

俺には金がない
それで十分だ
(中略)
俺は
俺の力で争うだけだ
(中略)
現在の俺は
ただ悲しんでいるだけだが
だが!
未来に
希望を
持つ!
どんな事があっても
負けない心を持つ!
このくらいのことに
負けてたまるか!
負けてたまるもんか!
(※映画より採録

■ちなみに、本作は日活撮影所ではなく教映東京スタジオで撮影されたらしい。教映なる会社の詳細は不明だが、1951年に『ドレミハ先生』という児童映画を製作しており、撮影の井上莞も参加していることから、民藝映画社と近い関係の会社だったと思われる。ひょっとすると、日活配給で大塚和が企画した民藝映画社主体の路線については、ステージ撮影も日活撮影所を使用せず、同スタジオなどの独立系の貸しスタジオを使用した可能性もある。『サムライの子』ではステージ撮影もロケ先の体育館で行っているからね。技術スタッフも日活撮影所のスタッフではなく、民藝映画社の(たぶん)社員スタッフを使っており、日活の公式HPでも製作は民藝と表記されているから、この路線は実質的に日活映画と言うよりも民藝映画と認識する必要がありそうだ。おそらく二本立て興行の作品不足を補うために取られた措置と推測され、仕上げは日活撮影所で担当するけど、ステージは一杯だから撮影は外部スタジオを使ってくれという条件だったかもしれない。ひょっとすると製作費じたいも民藝側が一部負担している可能性もあるなあ。そして、この路線を日活の崩壊まで支えて良心的な社会派リアリズム児童/青春映画を作り続けたのが、民藝で舞台演出家でもあった若杉光夫だった。若杉光夫にもっと光を!
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