超エリートと漂泊の旅芸人の純愛に関する一考察?『伊豆の踊子』

基本情報

伊豆の踊子 ★★
1963 スコープサイズ 87分 @DVD
原作:川端康成 脚本:三木克巳西河克己 撮影:横山実 照明:河野愛三 美術:佐谷晃能 音楽:池田正義 監督:西河克己

感想

■実は「伊豆の踊子」の映画化は初めて観るのだが、これ一体ドラマなんでしょうか?大正年間、超エリートの一高生がふらり伊豆旅行中に旅芸人の一行と出会い、その中の若い娘に淡い恋心をいだかれるが学問のため東京に戻るというさらっとしたエッセイ風の物語で、いわゆるドラマ的なドラマは存在しない。旅芸人の一座が社会底辺層の芸人で、村人たちからも差別され、蔑まれる様をちゃんと描きながら、それによって、主人公に何か変化が生じたわけでもない。主人公が変化しないとドラマにならないのに。

■特に湯ヶ野の場面では、現地の住民たちからも差別される現地の酌婦たちの最底辺の暮らしぶりをかなり描きこんでいて、南田洋子に、いずれお前のこのざまだよと言わせて、漂泊の旅芸人たちの行く末を暗示させる。十朱幸代が病を得ても死の寸前までお客を取らされる残酷物語が語られ、誰にも看取られず、葬儀もなく棺桶に入れられる様を諸行無常の体で描くのだが、そこは主人公には直接絡まないという変な塩梅。主人公たちが下田に旅立とうとしている間際にも、彼らとは何の関係もないエピソードとして、ピンハネがひどいから親方を通さず竹林で客を取っている南田洋子のみすぼらしい姿が描かれるが、主人公たちはそのことも知らない。。。

■全体にドラマの核心がどこにあるのか不明瞭で、純愛映画だから、一瞬淡い恋心が通えばそれで成立するのだという自信に基づいた映画化ということだろうか。三木克巳井手俊郎)の勝算はどのあたりにあったのだろうか。中盤の湯ヶ野の場面がこってり描けたからそれで満足ということだったのだろうか。実際、この第二幕の部分は配役も桂小金治井上昭文といったおなじみのバイプレーヤーたちがきっちりと芸を見せるし、大坂志郎も良い味なのだ。

■冒頭とラストにモノクロ撮影で、主人公の何十年後を宇野重吉が演じ、現在の学生を小百合と浜田光夫が演じるのだが、これも積極的な意味が見いだせず、蛇足に見える。ラストの下田港での別れの場面も、ロケ当日波風が強かったらしく、あまりキレイな撮影にはなっていない。リマスターは非常に綺麗にできているのだが、オリジナルの撮影に限界が感じられる。

■どうも西河克己監督は、時代がかったものは、あまり得意ではない気がするなあ。今の処、喜劇タッチの映画は非常にできが良いことを確認済みなのだが。実は舟木一夫の純愛映画も興味津々なのだが、あっちは当然真面目一辺倒な純愛映画だろうから、さて面白いのかなあ?
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