未映画化シナリオ「東京大空襲」

 「シナリオ」誌に掲載された、東宝8・15シリーズ用に用意されながら没になった、廣澤榮、安藤日出男合作の脚本「東京大空襲」(早乙女勝元岩波新書東京大空襲」より)を読んだ。まさに渾身の一作といった感じの、戦争を経験した世代が戦争に対する生々しい思いを吐露した、気迫のこもった圧倒的な傑作シナリオだった。東宝の社風には到底合わない脚本だが、もし映画化されていれば高畑勲の「火垂るの墓」を先取りした傑作になっていたかもしれない。
 舞台は昭和20年の東京の下町、前半は主人公の若い主婦葉子が、出征した夫を待ちながら子供たちを抱えて逞しくいてゆく様子を闊達なタッチで軽やかに描写しながら、米軍のカーティス・ルメイ少将が冷血な知性で着々と用意しつつあった焼夷弾による非戦闘員の大量虐殺計画が並行してナレーションで紹介される。クライマックスに来るべきカタストロフに向けて、不気味なサスペンスが積み上げられてゆく。夫が実は既に戦死していたことを夫の実家で知らされたヒロインを救ったのは、区役所に務める鈍牛のような男、窪川の荒々しい求愛だった。
 卑怯な手段を使ってでも彼女の気を引こうとするこの男の屈折した人間像が後半のテーマを強烈に打ち出す。窪川は中国大陸で残虐行為を働いたことをトラウマとして鬱屈した日々を送っていたのだ。この男が、空襲で焼け野原になった東京を見ながら「見なよ、この東京も段々昔の大陸のようになって来やがった。五年前、俺がこの眼で見た大陸とまるで同じだ」と呟き、日本の大陸での残虐行為と、アメリカによる非戦闘員に対する無差別な空爆が見事に対置され、東京空襲という題材が、太平洋戦争全体を包含する重層的な構図とテーマ性を帯びてくる。このあたりの人物構成と配置は実に見事なものだ。そして、さらに「例えば、あんたの赤ん坊の脳天を銃剣でブスッとやったら、あんた、どういう気がする?俺って奴はそういう奴なんだ・・・」という生々しい台詞の重みが衝撃で葉子を凍らせ、観客をたじろがせる。この映画は、窪川という男の贖罪の物語でもあり、クライマックスでは演出次第によってはカッコ良すぎることにもなりかねないキャラクターだが、この人間の表現によって、この脚本は日本の数ある戦争映画の中でも、際立った迫真性と普遍性を獲得している。この赤裸々な、しかし屈折した、先の戦争に対する想いや呪いを直裁に表現した、その舌鋒の鋭さは笠原和夫の「二百三高地」(太平洋戦争ではないが)や「大日本帝国」に比肩する。
 シーン73からは、シナリオの文体が漢字カナ混じり文に転調し、ひょっとするとあまりの生々しい惨禍につき、モノクロで表現することを想定していたのかもしれない(あるいはその逆もありうる)が、愈々始まる東京大空襲の描写には一切の妥協が無い。昭和20年3月10日の東京で経験された地獄絵図がストレートに描き出される。避難民の首筋に焼夷弾が突き刺さり、火達磨になり立ったまま燃え上がり、頭上すれすれを飛び去るB29はガソリンを撒き散らし避難民たちを黒焦げに焼き尽くす。情け容赦ない殺戮を忠実に再現しながら、葉子と窪川の人生に決着がもたらされる。その辿りつく先は、もはや嘆きや悲しみの言葉すら焼き尽くされた焦土そのものだ。(つづく)

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