「特技監督 中野昭慶」その2

 予想以上に真面目に編集された労作なので、是非広く読んで欲しい好著だ。中野昭慶が存命の間に、こうした本が編まれて、本当によかったと思う。日本特撮冬の時代の象徴的人物であった中野昭慶なので、日本映画の産業として困難な時期の証言者としても興味深い事実が盛りだくさんだ。冒頭の満州での生い立ちの部分も、昭和史の記録として重要な証言だし、中野昭慶という演出家を突き詰めるためには避けて通れない肝ともいえる部分である。
 以下、記憶に残ったポイントをいくつか紹介すると・・・

  • 中野は東宝撮影所では特撮班にスケジュールを持ち込んで、円谷英二を呆れさせたうるさ型の助監督であった。こうして会社側からは却って重宝がられるようになったのだろう。
  • 海底軍艦」は撮影期間が実質3週間ほどしかなかたので、特撮班は3班体制をとった。そのうちのB班は、おそらくその頃には松竹を辞めて円谷特技プロに参加していた川上景司が担当していた。残りのC班が中野昭慶。クランクアップした時には、円谷英二が涙を浮かべていたという感動的なエピソードが明かされる。
  • 五社英雄の「御用金」の難破シーンは東宝大プールで、五社英雄、岡崎宏三、中野昭慶が揃ってミニチュア撮影が行われた。岡崎宏三がキャメラを回した。
  • 「血を吸う人形」の特撮も山本迪夫の助監督仲間だった中野昭慶が担当。屋敷のミニチュアワークのあたりか。
  • 喜劇やスラップスティックが好きだと公言していたら、藤本真澄に社長シリーズを監督として撮らないかと誘われた。特技監督デビュー後も、金子正且松本清張モノの監督の打診を受けていた。少々気乗りしなくても本編監督デビューしておけば、その後の日本特撮映画史は大きく様変わりしていたかもしれない。
  • 東宝特技監督制度は森岩雄が作ったもので、田中友幸は監督が二人いるのはおかしいと支持していなかったらしい。
  • 中野昭慶は、円谷英二舛田利雄の2人を師匠と呼んでいる。中野にとって舛田は憧れの監督だったらしく、「人間革命」で初コンビを組んで以来の名(物)コンビとなる。
  • 76年の「キングコング」の特撮は東宝が担当する計画があり、中野昭慶がロケハンにニューヨークへ飛び、絵コンテも出来上がっていた。実物大のモデルを使用することを示唆したのは中野だったという。確かに、田中友幸中野昭慶ラインの発想という気はする。
  • 東京湾炎上」の特技監督の役で出演するオファーがあったが断ったそうだ。もともと日大映画学科で演技もやっていた人なので、これは是非実現してほしかった。今からでも遅くないので、特撮映画のカメオ出演は実現して欲しいよ。



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