リメイク版『日本沈没』は日活ムードアクションだった!? ★★★☆

 初見ではルーティンワークと予断して気を緩めてしまった草なぎと柴咲の恋愛劇をしっかりと確認するため、京極リネラリーベ1で再見した。

 というのも、三一十四四二三氏の掲示板(404 Not Found ナスカ無料レンタル)の「日本沈没」のエントリで、新「日本沈没」は日活アクション映画のヒーローの再現だという指摘があり、いまのところ今作に対する批評のなかでもいちばん鋭い着眼であると感心したせいだ。

 実際、この映画の劇的な肝はテントのなかで柴咲が草なぎに「抱いて」と迫る場面で、草なぎは「今はまだだめなんだ」と受けて、既に決死の深海作戦に身を投じることを決心していながら、イギリスに一緒に脱出して再会することを約するという作劇上の仕掛けが明らかになるのだが、女から真情を吐露されながらも愛する女を抱かない/抱けないというモチーフは例えば「赤いハンカチ」の裕次郎とルリ子そのものなのだ。初見の際、どこかで見た展開だなと思いながら思い至らなかったのだが、確かにこれは日活アクション映画(ムードアクションまでだろうが)に違いない。 

 見直してみると、今回の日本沈没は、日本列島の消滅という未曾有の危機に直面した人々が自分の為すべき使命を発見してゆくというドラマであり、草なぎはその代表的な象徴であることがよくわかった。作劇としては、前半の草なぎの描きこみが浅く(ひょっとすると尺の関係でカットされた可能性もあるが)、そのせいでこの映画の真の狙いがなかなか浮かび上がってこないのはもどかしいが、後半でそのテーマが列島の沈没と反比例するかたちで、表面に浮上してくる。主人公の彼の「生きる」意味を捜し求める旅に焦点をあわせるため、日本沈没という大状況が背景に後退しており、スケールは小さくなってしまったが、そのおかげで映画としての完成度はこじんまりとしてはいるが、今作のほうが高い。

 それにしても、第3の原爆投下阻止という決死の作戦を国や軍の命令ではなく、自分が自分のなすべきことと決めて米軍の渦中に突入していった「ローレライ」といい、自分にしかできない自分のなすべきことを探り当てて命を賭けて深海に没する今作「日本沈没」といい、樋口真嗣の特攻好き、あるいは自己犠牲好きは何なのだろう。ふた昔くらい前までは、いきがってカッコよく散るよりも、どんなに不細工で卑怯でみっともなくても、とにかく生き残ること、生き延びることを主張する戦中、戦後派の映画作家が健在だったのだが。自己犠牲を美化することの倫理性について一抹の不安を感じてしまうのは、歳のせいだろうか?

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