『戦国自衛隊1549』

戦国自衛隊1549
2005/VV
(2005/6/11 ユナイテッドシネマ大津/SC6)
原案/半村 良 原作/福井晴敏
脚本/竹内清人、松浦靖
撮影/藤石 修 照明/渡辺三雄
美術/清水 剛 音楽/sheZoo
VFXプロデューサー/大屋哲男 VFXスーパーバイザー/道木伸隆
特撮監督/尾上克郎 監督/手塚昌明

感想(旧HPより転載)

 特殊シールドの実験中に戦国時代にタイムスリップした自衛官たちが歴史に介入したことで日本各所に虚数空間が発生、世界の崩壊の危機を回避するため、ロメオ隊が組織され、再び戦国時代にタイムスリップさせることに成功するが、彼らを待っていたのは織田信長を名乗って富士山を誘爆し、日本の歴史を作りかえようとする的場(鹿賀丈史)の姿だった。

 前作「戦国自衛隊」は半村良の卓越した着想の痛快さを引き出すことなく、60年代の尻尾を引き摺る挫折する青春映画として構築されたせいで、せっかくのスペクタクルの愉しみも中途半端に終わってしまったが、今回の作品では痛快娯楽映画としての姿勢が顕著に謳われており、実際陸上自衛隊全面協力のスペクタクルは日本映画のスケールを超えている。確かに、スペクタクルとしてみれば、VFXも含めてかなりのレベルに達している。

 特に銀残しを駆使して、スペクタクルで鮮明な映像を生み出した藤石修のキャメラのシャープさは見事なもので、この映画の見栄えのよさのかなりの部分を支えている。

 奇怪な天母城や富士の情景を描出したVFXの見せ場も多く、特に三池敏夫が腕を振るった天母城のミニチュアワークは圧巻だが、クライマックスの城の崩壊もダイナミックなミニチュア破壊よりも、デジタル合成に重点がおかれて、せっかくのミニチュアワークの見せ場が淡々としているのは、尾上克郎の嗜好なのだろう。富士の噴火まで巻き起こしながら、特撮研究所名物の地割れも溶岩の噴出も遠望されるだけで、サスペンスには結びつかない。

 今回の作劇ではSF的なギミックにも重点がおかれ、”らしさ”を演出するが、どうも納得がいかないのは、鹿賀丈史にカリスマ性が感じられないことで、ここには時代劇も現代劇も演じきれる役者が欠かせないのではないか。なんといっても、アクションのできる俳優がいないことがこの映画の最大の欠点である。東映的ともいえる総花的な群像劇も、東映的に弾けることがなく、アクションのカタルシスを達成していない。あくまで自衛官の矜持に殉じた生瀬勝久のシニカルな最期はなかなかよくできた作劇だが、嶋大輔の最期は感心しない。

 北村一輝綾瀬はるかの無理やりなロマンスも全く説得力が無く、こうした部分に東映的な作劇の強度も情感も感じられないのは、手塚昌明の限界だろうか。ある意味で稲垣浩が戦後に撮った大味な時代劇の鷹揚な雰囲気が感じられるところが手塚昌明東宝魂の発露なのかもしれないが、東映的な過剰な感情が無いと、クライマックスのアクションも不発に終わることになる。

 それから、なんといっても酷いのが女性作曲家による劇伴で、ここは順当に大島ミチル以外にありえないのではないか。この映画の劇伴は活劇魂を大幅に殺いでいる。

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