ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS

ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS
2003/CS
(2003/12/13 京都宝塚)
(2003/12/27 NAVIO東宝プレックス/SC3)

基本情報

脚本/手塚昌明、横谷昌宏
撮影/関口芳則 照明/望月英
美術/瀬下幸司 音楽/大島ミチル
視覚効果スーパーバイザー/泉谷 修 特殊技術/浅田英一
監督/手塚昌明

感想

 前作でゴジラを上回る戦力を得たと宣言して危険思想の片鱗を覗かせていた中尾彬の暴走を恐れた小美人は旧知の小泉博に機龍の廃棄を進言し、もしゴジラが出現した時にはモスラが戦うと告げる。だが、モスラは再び現われた手負いのゴジラの敵ではなかった。モスラが絶体絶命の危機に瀕したとき、中尾彬は「我々は臆病者ではない」と宣言し、機龍の出撃を命じるのだった。

 前作で誰もが抱いた中尾彬暴走の予感がこの続編で明確な形で描かれなかったことが、この映画の最大の欠点であろう。

 「ゴジラ×メガギラス」のクライマックスをゴジラに負けないくらい盛り立ててくれた伊武雅刀の知的な敵役の効能を、ここでも中尾彬によって再現してくれていれば、モスラの存在意義も際立ち、取ってつけたようなラストカットも不要になるはずだし、アクション映画としての骨組みもはっきりと打ち立てることができたはずなのだが、総理大臣を悪役に仕立てることができないのは東宝映画の社風だから致し方なかったということだろう。

 さらに釈由美子が主役を演じられない時点で、この企画には無理があるのだが、機龍の整備士に主役を廻して、機龍に関わった者たちすべての想いをいわば群像劇のように描きあげる構成は、さすがに手塚昌明といったところだ。心配された吉岡美穂の演技力の問題も、手塚監督の演出のおかげでかろうじてクリアされており、クライマックスの「メカと心中してどうすんのよ!」など名台詞といえるだろう。

 ただし至るところにエヴァンゲリオン平成ガメラのイコンを意図的にばら撒いてみせるのは、マニア心をくすぐるつもりが、顰蹙を買う結果になっているので要注意だ。

 特撮演出としては、中野組助監督出身で、もはや業界自体から去ったものと勝手に思い込んでいた浅田英一がまさかの復活をとげた奇蹟に唖然とするが、演出自体は川北紘一と同様の重厚なミニチュアワークを中心として、近年の神谷誠菊地雄一に比べるとスタイル自体がいささか古い印象を与える。

 撮り切りのミニチュアワークについてはさすがにベテランの貫禄を見せて見事なものだが、ゴジラと機龍のアクション場面になると戦い方自体に工夫が足りないし、緩急の付け方も昨年ほどの効果が上がっていない。品川上陸の一連のシーンなどは新機軸の攻撃手法が新鮮で、六本木の森ビル上空を無数のミサイルが通過するカットなど見事な見せ方だが、クライマックスの国会議事堂あたりの怪獣バトルはネタ切れの様子で、夜明けの場面などミニチュアワークの演出としては水準以下のレベルまで低下している。(撮影スケジュールの問題かも)

 機龍の格納庫での整備士たちとミニチュアとの絡みの合成が多数用意されて効果を上げているのに引き比べ、後半で怪獣たちの戦闘地帯となった六本木付近を徘徊する小泉博とその孫を描くのにほとんど合成を使わず、カット割りで済ませてしまったのは著しく臨場感を殺いでしまっている。こういう場面こそ、最新のデジタル技術を使って柔軟なキャメラワークで融合させるべき見せ場だと思うのだが。

 今回の特撮班の最大の手柄はモスラの力強い羽ばたきを操演で表現してみせたことに尽きるだろう。夕焼けの中で渾身の力を込めてゴジラに強風を送り続けるモスラの熱演は演技賞ものだろう。

 ついでに文句を言えば、せっかく清水紘治を起用して、いかにも意味ありげに登場させておいて、結局ほとんど何の役にも立っていないのは如何なものか。

 さらに、ラストの機龍からのメッセージはやはりやりすぎで、釈由美子に対するものならまだしも、機龍の側から金子昇にメッセージを発する必然性が納得できないだろう。

 ついでに勝手な希望を言えば、この映画のラストは野心に駆られて機龍に邪悪な秘密回路を仕組んだことが発覚した総理が捕らえられ、良心ある人間の英断によって機龍の装甲が剥がれ落ち、人工筋肉の中からゴジラの骨格が再び姿を現し、整備士たちが泣き崩れる悲壮感あふれる場面に、石原裕次郎の渋い歌声でバラードが流れる・・・って、それじゃ「零戦燃ゆ」だよ!

© 1998-2024 まり☆こうじ