ブラックホーク・ダウン

ブラックホーク・ダウン
(BLACK HAWK DOWN)
2002/CS
(2002/4/27 京都スカラ座

感想(旧HPより転載)

 ソマリアでの民族紛争に介入した米軍は、敵対民族の虐殺を続けるアイディード将軍を拉致するために特殊部隊を投入するが、30分で終了するはずの作戦は民兵たちの抵抗に遭遇して予想外の展開を辿り、そのうちに最新鋭ヘリ・ブラックホークが戦闘地帯の市街地に墜落するという最悪の事態を迎え、引くに引けない泥沼の戦闘状態に突入してゆく。

 「グラディエーター」での目覚ましい復活の後、あまり誉められたものではない「ハンニバル」を挟んで、リドリー・スコットは戦争映画に一つのエポックを打ち立てた。もちろん、スピルバーグの「プライベート・ライアン」で一変した戦争映画の表現様式に負うところは少なくないのだが、如何にもジェリー・ブラッカイマー印の娯楽戦争映画として描かれた脚本が他人の戦争を闘うことの苦々しさとして結実したのはリドリー・スコットの演出手腕の賜物だろう。

 物語の構成自体は、主人公の青年たちが凄惨な市街戦を戦い抜いて変化してゆく様をかなりステロタイプな手法で描いているのだが、現実の事件そのものの持つ予期不能な成り行きが敵兵の固める市街地を突破していかにヘリの墜落現場に到着するかというギリギリのサスペンスを産み出して戦争状況の恐怖を味わわせてみせるし、ヘルメットも戦闘服も身に着けず、Tシャツに半ズボン姿で銃を担いだ民兵たちが墜落したヘリに雲霞のごとく蝟集する有り様と、それに対してマシンガンで容赦なく掃射する米兵のあまりにも絶望的な戦闘状況は、ソマリアで現実に起こったことの一端を伝えて圧巻。

 しかし、考えてみるとこうした戦闘状態の描写が、自身が監督した「エイリアン」の第2作目でジェームズ・キャメロンの「エイリアン2」での植民惑星探査シーンに酷似しているのは、奇妙な偶然というべきだろう。

 ただし、近年のハリウッド映画の撮影技術、現像技術、そして編集テクニックの進展によって、人間が銃撃されることの、殺されることの生々しさや凄惨さがすっかり払拭されてしまっているのはゆゆしき問題かもしれないが。 

 とにかく、しばらくの間、人の死ぬ映画は観たくないという気分になること必至の痛撃の一作であることには間違いない。

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