■累ヶ淵といえば安田公義、という常識が当時の京都映画界にあったのだろうか。大映で2回も映画化しているから、自家薬籠中のものだろうということで発注されたのだろう、多分。ちょっと安易な気がするぞ。
■脚本も演出も、正直あまりいい出来ではないけど、豊志賀を片桐夕子が演じるのがいかにも70年代で、しみじみするところ。ちょっと健康的過ぎる気はするけど、ちゃんと盥で入浴シーンもあって、サービス満点。お肌のハリとツヤが違います。それに絡む山本一郎のゲスな小悪党役も定番の安定感。でも、豊志賀の醜く変貌する特殊メイクがなくて、なんか絆創膏を貼ったような痣ができるだけというのは、あまりにも残念。というか謎。同じシリーズで、ピーターはあんなにグロい特殊メイクで化けたのに!
■技術的には巨木の生えた累ヶ淵の岸辺のセットが、演劇の舞台装置みたいだけど、一点豪華主義で楽しい。あと、京都映画お得意の霧雨の情景は、毎回のように登場するけど安定感があるなあ。原色の照明で赤くなったり青くなったり紫になったり、太秦の映画職人さんたちが変化をつけます。