男衆がみんな斃れてゆく。そして勘助、無念の死『カーネーション』備忘録③:第11-14週

第11週「切なる願い」(演出:小島史敬)

■ボヤを出して酷いやけどを負った父を看病するなかで、三女が生まれる。祖母も寝込み、糸子がすべてを背負って一家の大黒柱になる。お客の流れを止めるな!着物に戻せるモンペを開発して再びしゃかりきに働き出すが、泰蔵が出征し、快方に向かっていた父は旅行先で急逝する。

第12週「薄れゆく希望」(演出:福岡利武)

■父なきあと、食料の調達に腐心するなか、商売に対する世間の目の厳しさを認識すると、軍服の縫製を請け負うことにする。そんななか、勘助がひそかに再び出征し、あっけなく戦死する。奈津は旅館の借金を背負って夜逃げする。

第13週「生きる」(演出:田中健二

昭和19年、岸和田にも戦火が迫り、家族を疎開させる。勝も戦死するが、こころが死んだように実感がわかない。泰蔵も戦死し、もはやだんじりを引くこともできない。糸子はだんじりの前で泣き崩れる。そして敗戦を迎えるが、糸子は昼ご飯のことを考えていた。

第14週「明るい未来」(演出:田中健二

終戦直後、男衆にだんじりが必要なように、女子衆にはおしゃれが必須なんやと気付かされた糸子は水玉のワンピースを披露して仕事に精を出すが、安岡のおばちゃん(濱田マリ)は臥せったままで、八重子(田丸麻紀)にパーマ屋を再開するように説き伏せ、東京まで買いつけに出かける。昭和21年、妹は気がつくと30歳で、嫁に行くが、その後おばあちゃん(正司照枝)が息を引き取る。

雑感

■戦争が激化し、糸子の幼馴染や周りの男たちが次々にあっけなく戦死してゆく。勘助は糸子に会うこともできずに再び出征し、あっけなく死ぬ。大陸で何があって、「こころ」をなくしたのか、結局明かされず、和解も叶わないまま。あっけなく死んでしまう。糸子は勘助の名を呼ぶことしかできない。脇役だから、敢えてすべてを描かないし、説明しない。でも逆にこころに刺ささって、トゲを残す。渡辺あやは、かなりの高等テクニックを駆使して、ヒロインのように図太く生きることのできない「へたれ」な男の、あの時代の青春の無惨をさり気なく描く。それは、わたしやあなただったかもしれない青春。おせっかいな糸子も、なすすべもない運命なのだ。

■子育て中は、起きてるのか寝ているのかもわからない時間を過ごし、空襲が激化するとやはり同様に寝てるような起きてるような非日常に追い込まれる。その対比のリアリティも秀逸。作者の自分自身の生活実感に基づいているだろう。

■こうして観ていると、NHKの朝ドラは、生活者の視点から時代のうねりを描くところに値打ちがあるようだ。大河ドラマは歴史上の大物が基本的に中心になるので、権力者が生きた時代と社会を描くことになるので、まあいわばわれわれ庶民には知ったことか!なんだけど、朝ドラは基本的に一般庶民が描かれ、家庭における生活のリアリズムの積み重ねのなかから、その時代の社会のありようを照射するという仕組みを組むことができる。頭でっかちな机上の空論やためにする議論ではなく、人間の日常生活に根ざした批評が可能になる。そこのところ、本作は非常に丁寧にうまくやっていると思うし、演者の土性っ骨を感じさせる。朝ドラでは同様の趣向は少なくないはずだけど、本作が朝ドラ史上の傑作といわれるのは、朝ドラならではの生活のリアリズムと批評性が高度に結びついたからなんだろうな。

■夜逃げして落ちぶれた奈津が傷痍軍人(イケメンらしい)に拾われる場面なども点描ながら上出来で、焼夷弾が街に降り注ぐ幻想的な情景が丸メガネに映り込むカットなども、劇的効果抜群の特撮で、田中健二はホントに筋が良い。

■おばあちゃんとか神戸の祖父とか、徐々に衰えていく様が、実にリアルに丁寧に描かれるのも見事なもので、これも渡辺あやの生活実感によるのだろうか。連続ドラマならではの芸当だ。

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