進化論があるなら、人類の退化論もあるはずだ!ウェルズ先生の心配性が炸裂する『モロー博士の島』

H・G・ウェルズの小説なんて前世紀の遺物でしょと勝手に思ってましたが、最近ちょっと見直しています。『宇宙戦争』もいまだに新しい視点を提供しているし、『解放された世界』なんて、日本国憲法にも影響を及ぼしたという説もあるほど(眉唾)。

■『モロー博士の島』は『タイムマシン』『透明人間』と並ぶ、ウェルズ先生の代表作だけど、B級SF映画の安っぽいイメージしかなくて、なんとなく敬遠していたけど、怪奇SFが読みたくて、ついに完訳版にチャレンジです。といっても、文字が大きくて読みやすい、おなじみ偕成社文庫版です。

■物語の枠組みは冒険小説や怪奇小説の典型的な構成を採用しているので、そうしたジャンルの読者にアピールする意欲は満々なんだけど、正直、ホラー的な要素はあまり強くなくて、そこはウェルズ先生の狙いじゃないらしい。そのあたりの妙味は職業ホラー作家に譲る。

■むしろウェルズ先生の興味の中心は、19世紀末当時、ロンドンで直接学んだ進化論に対する批評にある。動物を人為的に進化させて人間に作り変える狂気の科学者モロー博士と、創造された動物人間たちの築く疑似社会と疑似宗教の盛衰を叙事詩として描くところに含意が深いし、思考実験としてのSFの醍醐味が味わえる。その意味では、もっと長くてもいいところだけど、ウェルズ先生は小説作家としの作劇術には限界があるので、結果的にいい塩梅ともいえる。

■モロー博士に創造された動物人間たちが、一種の原始宗教を教え込まれ、モロー博士を神と崇めるとか、その死後には、形は変わったけど神は死んではいないと強弁して押し切ろうとするあたりの寓意性(というかそのまま)も興味深いし、でもいちばんユニークなのは、その後に訪れる緩慢な退化のプロセス。かつては簡単な英語を解した動物人間たちは徐々に無口になり、四足歩行に回帰し、毛深くなってゆく。動物に戻った動物人間は、でも、モロー博士による改造実験で造られた各種動物のハイブリッドであり、結局は滅び去ってゆくしか無い「怪物」なのだ。

■神によって創造されたという人間も、神が死んだとき、人間であることをやめて、あの懐かしい猿の世界に退化してゆくのだろうか。怪奇譚かと思いきや、正攻法の気宇壮大なSFだったので驚きました。という話ですね。『猿の惑星』も、この反進化の昏い夢を共有しているかも。

■ちなみに東宝特撮の異色作『マタンゴ』のラストあたりは、この小説の影響があるでしょうね。福島正実星新一が原案を担当しているから、当然この小説は教養の基礎になっているはず。あの映画は、そこにさらに武田泰淳の『ひかりごけ』の要素が入り込んだハイブリッドですけどね。喰ったのか?喰わなかったのか?でもそのあたりの換骨奪胎の高等テクニックとセンスの良さと手際はピカイチだと思います。

■あと、あれですね、これが江戸川乱歩だと完全に猟奇耽美の世界に換骨奪胎されて『孤島の鬼』になるわけですね。あれはあれで大好きだけど、ホントに薄暗い病的な甘い夢って感じで、どうかしてるんだけど、変な普遍性があるのが不思議。やっぱり乱歩だけに、人間の退化の部分に共鳴したのかもしれないなあ。

モロー博士の島

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