基本情報
博奕打ち外伝 ★★★☆
1972 スコープサイズ 104分 @DVD
企画:俊藤浩滋、橋本慶一 原案:島村喬 脚本:野上龍雄 撮影:古谷伸 照明:増田悦章 美術:富田治郎 音楽:木下忠司 監督:山下耕作
あらすじ
■明治後期の九州・若松。睦会の総長(辰巳柳太郎)が二代目を大室(若山富三郎)と花田(高倉健)のうち、大室に譲ると宣言する。花田は受忍するが、その弟分江川(鶴田浩二)は黙っていられない。だが、実は花田は浦田の実子なので敢えて跡目を譲らなかったのだという事情がわかり、江川は 大室の継承をなんとしても支持する約束をする。だが、江川に遺恨を持つ大室組の代貸滝(松方弘樹)は江川組に無理難題を突きつける。双方の軋轢を知った総長はついに「渡世は一代限り」と宣言するが、そのとき滝は。。。
感想
■任侠映画末期の徒花(?)博打打ちシリーズは何故か異色作や傑作が目白押しで、『博打打ち 総長賭博』『博打打ち いのち札』と笠原和夫が異様に充実した作劇で山下耕作のキャリアを高めたものだが、本作は野上龍雄が山下将軍に特別な贈り物を残した異色作。任侠映画には男同士の交情がそれとなく仄めかされてきたところだが、本作では男色の世界をかなり露骨に謳い上げたので、公開当時も観客はギョッとしたらしい。今見ても、かなり驚く。
■でも実際、若山富三郎演じる大室組の代貸役の松方弘樹は一世一代の名演だし、脚本家もこの映画の成否はこの役に賭けたということがはっきりと分かる異様な役どころ。片目は潰れ、顔中疵だらけで、片足は損傷して跛である。下手するとほとんどギャグに等しい片端者(いまでは差別語)だが、その疵はすべて親分のために甘んじて受けてきた修羅場の記憶である。吃音だったという野上龍雄は、自分じしんの近親者、あるいは分身として、この極悪のアウトサイダーのマゾヒズムに似た、捻れた純愛を描き出す。その愛は親分である若山に向けられる。クライマックスの以下の台詞は、文句なしの名場面だし、涙なしには観られない松方の名演。松方弘樹って、不世出の名優だなあ。
「わしは親分のためにこの世に生まれてきた男たい。
親殺しがなんな。渡世の作法がなんな。
知らん、わしはそんなもん知らん。
知っとるとは、親分、あんたちゅうわしが惚れた男だけたい。」
ここまで熱く告られると、若山親分も「ともに地獄へ落ちようたい。」と抱き合うしか無いよね。親殺しまでして任侠道を踏み外した因果な二人に、この渡世で居場所はあるだろうか。だから最後の討ち入りは二人の心中に見えるし、松方が若山を無理心中に誘い込んだようにも見えてくる。
■ちなみに、辰巳柳太郎が「組は一代限り」と宣言するあたりのエピソードは、映画公開の前年に話題になった劇団民藝の宇野重吉による「劇団は創立者だけの物である」という「劇団一代論」問題を踏まえているのではないかという気がする。宇野重吉の爆弾発言を受けて、劇団民藝は多くの離反者を出し分裂していった。映画史的にはどこにも書かれていないけど、これはかなりありそうな気がする。
■高倉健も菅原文太もあっけなく死んで、鶴田はたったひとりで殴り込み、若山も一瞬で斬り殺される。すべての紛争の元凶である松方はその前に瞬殺されている。すでに東映の職人たちは、任侠映画の終焉と葬送を意識していたのではないだろうか。任侠映画を継ぐものは誰か?それは一代限りの伝統芸ではないのか。作者たち自身がそう総括したということだろうか。でもすくなくとも山下将軍は任侠映画に相当未練があったらしいけどね。